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VOL. '04-02/2004.02.01号 自衛隊のイラク派遣 -- その2
2月1日、とうとう小泉内閣は陸海空の自衛隊をイラクのサマワへ派遣することを決定した。既に先遣隊は派遣されているが、派遣が身近な現実になるにつれて国民の支持は派遣反対から派遣賛成へとじわじわと反転し始めている。この事実は、原理原則よりも目の前の現象に直ぐ誘導されて目が行ってしまうという国民性を如実に象徴している。
今更という気もしないではないが、外国人の目に自衛隊と軍隊とは表現的に違いがあるのだろうか?あるいはないのだろうか?
小泉首相も石破防衛庁長官も、イラク復興支援のために人道的に派遣する自衛隊であって憲法9条にいう「軍隊」には当たらないと言っているが、自衛隊を研究社の和英辞典で調べてみると、「the Self-Defense Forces」と訳されているし、諸外国では「the Self-Defense Army」と、「Army」という言葉を使っているようである。(陸上自衛隊は「the Ground Self-Defense Force」、海上自衛隊は「the Maritime Self-Defense Force」、航空自衛隊は「the Air Self-Defense Force」である。)
そこで、「Army」と「Force」とでは何が違うのかと調べてみると、そもそも「Army」という言葉の語源はフランス語にあり、語源的には「陸軍」を意味する言葉である。陸軍に対して、比較的歴史の新しい海軍や空軍を意味するものは、アメリカ空軍のことを「Air Force」と言うように、英米語の「Force」が使われるようである。このように、Army もForce も語源がフランス語か英米語かによるだけでどちらも「軍隊」を意味する。
従って、「Army」と「Force」のいずれも「軍隊」という意味であることには変わりはない。漢字圏の国家にしても、アメリカやヨーロッパの新聞や記者発表などを記事にする場合は「the Self-Defense Forces(自衛隊)」や「the Self-Defense Army(自衛隊)」を訳することになるので、当然「軍隊」という表現をすることになる。従って、英米独仏伊露、中国、韓国、インド、アフガニスタン、イラク、イラン、アラビア、イスラエルなどの世界の国々が全て自衛隊を軍隊という認識を持つのは当たり前である。自衛隊のことについてある程度の知識を持っている国であっても、「自分を守る軍隊」という分かったような分からないような妙な制約の付いた軍隊であるという認識は抱くだろうけれども…。
そうなると、日本人だけが「自衛隊」と「軍隊」を使い分けているに過ぎず、しかも「軍隊ではない」と思い込んで(思い込まされて)いるだけということになる。世界の常識は「軍隊」であるにもかかわらず、日本人の常識だけが「軍隊ではない自衛隊」という錯覚状態に陥ってしまっているのである。この感覚からは、アジア諸国が「(自衛隊が軍隊化する)自衛隊のイラク派遣に反対」する理由は理解できないだろう。
このように、「自衛隊は軍隊ではない」と理解している国は一国もない筈である。ただ、憲法9条に「侵略戦争を放棄する」ことが明確にうたわれていることによって、日本の再軍国化を恐れるアジア諸国は日本に対して安心感を抱いて来たのである。しかし、今次の小泉首相や石破長官による「兵站(へいたん)活動をも自己防衛行動であるとする」「(明らかに戦場であるにもかかわらず)非戦闘地区である」といった憲法9条の超拡大解釈によってなし崩しに海外派兵を進める政治行動に戦前のファッショ化をダブらせて警戒感を強めているのだろうと思う。
誰しも、日本の経済力や技術力を見れば、あっという間にアメリカ並みの軍隊が誕生するだろうぐらいのことは容易に想像出来る。ということは、アメリカを核としてヨーロッパにイギリスとドイツ、アジアに日本という強力な軍事国家ネットワークが形成されることになる。少数意見を無視し片耳すらも傾けない小泉政権の政治姿勢はまさしくファッショ政治そのものと言え、アジア諸国がこれを見逃す筈はなく危機的意識を持って危惧しているのである。
メディア人たちも、今頃になって「憲法9条」論議を再燃化しそうな気配であるが、遅すぎる。先にも述べたように、メディア人たちまでもが「めくられた頁ばかりにしか目が行かない」人間になってしまっているのである。少なくとも政治や社会を志向するメディア人たる者は「自ら頁をめくったり、前の頁に戻ったりして将来の現象を予測して発信し、そして社会へ働きかけの出来る者」でなければならない。芸能レポーターとは本質的に違うのである。芸能レポーターのようなメディア人が増えているところに日本のジャーナリズム界の貧困さがある。
VOL. '04-01/2004.01.01号 自衛隊のイラク派遣 -- その1
遂に昨年の暮れ、よりによってクリスマスの日に、幼い子供たちから家族団欒(だんらん)の楽しみを奪うように航空自衛隊がイラクへ派遣された。しかも、幼い子供たちは、家族水入らずで過ごす正月休みの楽しみまでもが奪われたのである。何故に?暮れも押し迫った25日に派遣しなければならなかったのだろうか?小さな子供を抱えている若い出征隊員にとってはさぞや辛く寂しかっただろうと同情する。
血も涙も無いような最近の政権与党の政治の有様を見ていると、小泉首相や石破防衛庁長官は何処を向いて政治を行っているのだろうか?もちろん、言わずと知れたブッシュであることは明白だが、理解に苦しむ。それにしても、焦点の定まらぬ虚ろな目付きでまるで憑き物にでも取り憑かれたような異様な表情は常人の姿ではない。
現憲法第九条との関係を質問されれば、「日米安全保障条約がなければ日本はどうなるか」、「北朝鮮がノドンで爆撃して来たら日本は一瞬のうちに壊滅する」などと問題をすり替え、国民の恐怖心を煽って開き直るばかりである。このような話法を極致話法というらしいが、憲法論議には一切触れず、まるで馬鹿の一つ覚えか、オームのように「道路や学校を作ったり医療支援などの復興人道支援活動をしに行くのであって、戦争をしに行くのではない」と判で押したように顔を引き攣らせて答えるだけしか能がない。
国会における答弁内容や答弁態度にも問題が多い。国会答弁は国会議員向けだけの答弁ではない。国民は耳を澄ませて小泉総理や石破防衛長官の答弁を聞こうとしているのである。極致話法を駆使しての答弁や不遜な笑みをたたえた不真面目な答弁は見るに耐えない。国会を私物化しているような印象しか伝わって来ない。やはり真摯な答弁をお願いしたいものである。海外のTV番組でも報道されていることをお忘れになってやしないだろうか。
現憲法下においての自衛隊派遣について、小泉首相は国民に対してきちんと説明をしなければならない。憲法に則って派遣されるのであれば自衛隊員も胸を張って行くだろうが、小泉首相と石破防衛庁長官の憲法違反的な恣意的憲法解釈に基づいて派遣されるのは割り切れない思いだろう。
にもかかわらず、この前の国会において「自衛隊を海外派遣するのは憲法の前文の趣旨に沿っており、憲法違反ではない」という無茶苦茶な論理を展開した。国家の行為について定めた憲法を、これほどないがしろにする政治家も珍しい。
法律の前文と逐条が別個の意味を持つという解釈らしいが、法律を知らないにも程がある。自分勝手な解釈をして「どうだ!おそれいったか!」てな表情で胸を張る姿を見ると、小泉首相や石破防衛庁長官自身が国家であるような印象を受け、まるでヒットラーかムッソリーニの再来であるかのような印象を受ける。こんな情けない映像が世界各地で放映されているかと思うと、実に恥ずかしいことである。
今回の航空自衛隊の派遣先はクウェートということであるので、非戦闘地域への派遣であることは間違いない。ところが、その職務は、余り報道されないが、クウェートの飛行場から米軍の軍需物資をバクダットなどのイラクの飛行場へ向けて輸送することになる。いわゆる兵站(へいたん)活動で、明らかに憲法九条が禁じている軍事行為である。明々白々な憲法違反である。にもかかわらず、この点については全く説明がない。
今月にも派遣される陸上自衛隊はイラク南部地域である。非戦闘地域という触れ込みであるが、国連職員も逃げ出し、PKOは危険だから出せないという地域がどうして安全と言えるのか?もっとも、最近の小泉さんはいつの間にか「安全ではない」とも言っているようであるが、それなら何故派遣するのか?矛盾している。
前号にも書いたが、このような中で自衛隊員に犠牲者が発生した場合、犠牲者の家族が損害賠償の訴訟を起こしたら裁判所はどのような判定をするのだろうか?憲法問題が争点になる訴訟を地裁が判定することになるというのもおかしなことである。