∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 以久遠氏の Beauty,Business & Favorites 食紀行 <70号>VOL. '04-10 / 2004.10.10号 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
私は酒飲みではない。どちらかと言えばむしろ食い道楽の方に入るかも知れない。しかし、決して高級な料理や料亭を好むような贅沢な食い道楽ではない。知る人ぞ知る地方の隠れた美味を探求するのが好きである、という意味で食道楽の部類に入るかも知れないと思っているのである。
酒は飲めないくせに酒の肴は大好物である。その所為か、第一印象では酒飲みに見えるようで、多くの人から「一杯、行きましょう」と誘われる。残念ながらそういうときは、殆ど酒の飲めない私はコップ1、2杯のビールを付き合うのが精一杯で、後は座談を楽しみながら酒の肴を食べるか、酒の肴をおかずにしてご飯を食べることになる。
最近は、東京駅の構内にも日本全国の食材を販売している店が出来て、地方の名産品を手軽に手に入れることが出来るようになったし、品川駅や藤沢駅のコンコースでは北海道や沖縄などの物産展が一ヶ月に一回ぐらいは開かれており、ごくありふれたポピュラーな名産品ぐらいなら手軽に買えるようになった。
本格的な名産品を食べたくなったら、わざわざ地方まで出掛けなくても、有楽町の交通会館(有楽町ビルディング)まで足を伸ばせば全国の大抵の名産品が手に入る。交通会館の地下一階から二階まで、日本中の観光物産コーナーが県別に軒を連ねていて夜7時ごろまで営業している。決して安くはないが、特に、北海道や東北の県産品の店に人気があるようである。いつも、勤め帰りのOLや食材にうるさそうなオジサン達が熱心に見入って賑わっており、レジには長い行列が出来ている。東京とは実に便利なところである。
酒の肴でも、特に塩辛は大好物で様々な土地の塩辛を食べて来た。最も美味かったのは、N社に入社したての頃、同じ独身寮に住んでいた東北岩手出身の先輩が寮の近くで新鮮なイカを買ってきて、自分で捌いて造って呉れた「烏賊(いか)の腑(はらわた)だけの塩辛」である。今もってこれほど美味の塩辛を口にしたことはない。
さすがに彼は、イカ漁の本場岩手県三陸の漁師の子弟だけあって料理の手捌きは慣れたもので、イカの腑だけを取り出しそれを包丁で破って、それに食塩をまぶすだけで出来上がる。イカの身は刺身にしたり、ソウメンにしたり、酢和えにしたり、煮たり、焼いたり・・・、実に見事なものであった。腑の塩辛は炊き立ての白ご飯にかけて食べるだけだが、これが得も言えない美味である。それ以来、イカの塩辛と言えば腑だけで身の入っていないものが一番好きになった。しかし、この塩辛は一般には市販されていないようで、日本中、未だにお目にかかったことが無い。多分、漁師さんたちが自分の家で食べるぐらいしか獲れないのだろう。
従って、市販されているものでは、富山や新潟の蛍イカの沖漬けと小田原の「イカの皮剥き塩辛」が最高に美味いと思っている。私の好きな小田原の塩辛は、小田原駅の在来線の改札のあるコンコースにある「小田原駅名産店」という店にある。店の奥の棚に並んでいて、「特製 刺身造り いか 塩辛」というもので真イカの皮を剥いたものである。130g入りの瓶詰めで甘辛、二種類あり、手造りながらも値段は600円のお手ごろ価格である。真イカの軟らかさと上品な甘味と塩味が実に巧くマッチしている。
塩辛は日本全国何処にでもあるが、殆どが皮付きのまま細く切ったものばかりで、偶に「刺身造り」というものもあるが、小田原のもののように徹底的に皮を剥いたものにはお目に掛かったことがない。イカの皮というのは噛めば噛むほど硬くなって歯切れが悪く、また味も落ちて、年寄りの歯には食べ難いものであるが、皮を剥いで刺身にすることによって皮独特の嫌な臭みも消え、癖のないイカの甘味が活きる。しかも、驚くほど軟らかで歯ざわりよく、微妙なタレ(ゴロ)の風味が生きている逸品である。
しかし食生活が変わって、こんな美味い物なのに塩辛を食べる若者が少なくなった。皮肉なもので、コレステロールや塩分を制約され始めた年寄りや、歯が悪くなりかけた年寄りたちばかりが大好物というものになってしまった感がある。
小田原市は、箱根の山と熱海の入り口に当たる。後北条家と呼ばれる北条早雲の城下町で、堂々巡りばかりしてなかなか結論の出ない会議のことを小田原評定というが、豊臣秀吉が攻めて来たときに会議(評定)ばかり開いて結論がなかなか出なかったことから「小田原評定」という不名誉な言葉が出来た町である。名産としては、小田原提灯や小田原梅干や小田原蒲鉾が有名であるが、「特製 刺身造り いか 塩辛」というのは、創業明治27年という小田原市の「しいの食品」という酒盗(しゅとう)の老舗で造られている。
先日、久し振りに小田原駅名産店を訪れたら、棚の奥に「蛍いか 塩辛 沖漬け」という商品が並んでいたので、迷わず一瓶買って帰った。刺身造りのイカの塩辛がなくなってから食べるつもりでいる。