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携帯電話の普及度や大型店舗の展開振りやブランド品の普及など国民生活面から見ると、決して貧乏国には見えないが、国民所得面から見ると、わが国は年収200万円以下の低所得者階層が増えて先進国の中で最も貧乏な国になったらしい。高度成長時代には国民貯蓄の富裕な国の方にランクされていたのが、バブル崩壊後のアッという間に無貯蓄国民ばかりの国になったのである。この10年ばかりの間の変わりようは驚くべきことである。
その一方で、六本木ヒルズという超高額家賃のマンションに住む「 IT 長者」というとてつもない富裕階級が誕生している。昔は田園調布や渋谷の松涛(しょうとう)町あたりに大豪邸を構えるのが富裕階級のステイタスであったが、超高額家賃の借家住いが富裕のステイタスとなっているというのも妙なものである。だがともあれ、このような階層の二極分化を推進させたのは小泉総理と竹中大臣の二人三脚コンビであることは間違いない。
代表的なものは、「大きな政府から小さな政府へ」という行政公務員の削減策、「民間に出来ることは民間へ」という民営化政策、中でも竹中大臣の金融面における諸々の規制緩和政策、即ちアメリカ式自由主義型の経済金融政策であると言えるだろう。「大きな政府から小さな政府へ」というスローガンは、諸外国に比べてわが国がどのように「大きな政府」となっているのか、もっと冷静に分析してみる必要があるのではないか。
必ずしも小泉総理が言うほどには肥大化はしていないと唱える人も居るし、人口比で見ると決して極端に肥大化しているとは言えない。このスローガンは、不況の中でも生活権が保障されている公務員を削減して効率的な「小さな政府」を作るという印象を与え、一般国民を錯覚に陥れている。しかし耐震強度偽装事件などを見ても分かるように、残念ながら一般受けを狙う小泉政治一流の詭弁であることに多くの国民は気づいていない。
国民の命と生活の安全を保障することが国家の使命であり行政の役目である筈だが、行政職の公務員を減員すれば、更に耐震強度偽装のような建築確認業務や狂牛病BSE牛肉輸入問題などのような制度的ほころびが生じることを知るべきである。小泉総理は公務員の人数ばかりに触れているが、本来、大きな政府とは金の掛かる政府という意味である筈である。行政に必要な人員は確保されなければならないにもかかわらず、人数にばかりこだわるのには何か目論見があるのでは?と訝りたくなる。
憲法改正だけでなく、防衛庁を省に格上げしようという動きがある。環太平洋アメリカ軍は撤退縮小が決定であるし、そうなれば防衛軍(憲法改正案)の増強大増員というのが見えるのである。言い換えれば、公務員の大増員が行なわれることになる。こうなれば更に「巨大な政府」が生まれることになるので、予め行政職公務員を減らしておこう、という腹ではないかと推察せざるを得ない。
彼らの発言や政治手法にはいつもどこかに胡散(うさん)臭さが漂っている。国費、即ち税金の無駄使いという意味から言えば、政党助成金の廃止や議員年金の見直しや議員歳費およびその関連費用などの抜本的な見直しやなどの方が先に論じられるべきであろう。勿論、官製談合などは厳罰に処すべきでもってのほかである。
「民間に出来ることは民間へ」というスローガンは不況の中では実に響きが良い。イギリスやフランスには軍隊でさえ民間事業として存在し、海外派兵の業務さえも国家から受注している「死の商人」的会社がある。このような論法であらゆる制約を撤廃し自由化すれば、警察も役所も認証機関も何でもかんでも民間事業者が受託できることになる。NHKなぞは、やろうと思えば、直ぐにでも民営化出来るだろう。弁護士業務は既に民間移行されているのであるから、検察庁の業務だって民間事業になり得るかもしれない。そうなると、民間に委託出来ないものは首長と議員と裁判所くらいなものだろう。
しかし、民間移行すると、あらゆるものがコストと収益という経済原理の中に組み込まれることになる。今問題になっている建築確認業務の検査機関のような、本来、経済原理思想の中に置くべきでない業務が存在していくためには、安全を守る使命と企業経営という相反する問題をどのように両立させるかという難しい問題を解決しなければならない。
そもそも小泉内閣の「官から民へ」という発想の原点にあるものは、「民営化すると見違えるように活気付いたではないか」とか「積極的に考え実行するようになったではないか」といった発言にみられるように「公務員は働かない」という固定観念に根差した思想である。その所為で「大きな政府」になっている、という判断であるように見える。その働かない公務員を出しにして小泉人気を煽ろうとするパフォーマンスである。彼の言う「大きな」という意味が極めて曖昧であるが、「小さな政府」の前に「公務員の活性化」「公務員業務の効率化」等についても考えなければならないのではないか。
策も哲学も無いアメリカからの受け売りに過ぎない単なる規制緩和策や民営化策は国民に何をもたらしたか、と言えば、一握りの大金持ちを誕生させ、一方で200万円以下の低所得者層を増やし、ホームレスを増大させたに過ぎない。これを、政治の責任と見るか、個人の責任所謂自己責任と見るか、異論もあると思うが、多摩川の河原に累々と建つ青いテントハウスの異常な増え方と異様な光景を見て心を痛めない人は居ないだろう。
政治の実態は、「勝ち組」と「負け組」を自己責任という切り口から是認し、それが「勝ち組」と「負け組」を作り、負け組には「イタミ」を押し付けているのである。産業政策的にも、IT産業に偏し力を入れ過ぎた観が強い。コンピューターが便利で効率的で正確でコストが安いことは否定しないが、産業的に見れば産業基盤が浅いという面は否めず産業波及度が低いという欠点がある。これが年と地方の産業格差を広げて景気の斑模様を濃くしている一因でもある。
やはり真の国力を増大させるものは「物造り」という産業構造の育成である。「安いもの」という視点から経済を見ると、低開発国からの輸入に勝るものはないことになる。それらは付加価値の大きい「物造り」産業を生み出すものではなく、付加価値の小さな小売業を生み出すしかない。付加価値の小さな小売業に豊かで大きな雇用を期待することは難しい。小売業態を拡大化させるだけで、その雇用もパートばかりで正社員が殆どいないという有様にならざるを得ない。
これで国民所得が増える筈がないことは明らかである。国民所得が低いことは国内購買力が低いことを意味し、国内購買力が低いことは産業を活性化する力が弱いことを意味する。また、自民党は、このような低所得者層ばかりが増えている社会から消費税や年金原資をむしり取ろうと画策しているが、いつまでもイタチゴッコが続くだけで年金原資も税金も根本的な解決策にはならないだろうと思う。
年金原資を確保するためには被保険者数の増加と保険料収入の増大を図ることを考えるべきである。パート労働者の殆どは厚生年金加入者の配偶者であるか、国民年金保険の被保険者である。一定規模の企業には正社員とパート社員の比率を設定して正社員率を引き上げさせるようなことも考えるべきだろう。
正社員になれば、給与も増えるし、厚生年金加入者も増える。パート労働者がいくら増えても、年金保険料は大して増えないし、所得税にいたっては殆ど期待できない。国債発行残高が七百兆円を超えてい中で、国債残高をいくらかでも減らそうと考えるのなら、パート労働者の所得上限を取り敢えず現状の二倍くらいの250万くらいまで引き上げることが必要であろう。労働力の流動化を考えると、将来的には正社員とパート社員の間の差を撤廃することを見ておかなければならない。