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84号で勝海舟の氷川清話の中から「気合いと余裕」という話を紹介した。今回の「余裕と無理」はその続きである。「人間、余裕なかりせば、大事、成らず」。この言葉は真実である。「余裕がない」とはギリギリということである。このギリギリというのが何事にも最も害する。器の容量以上には入らないし、無理に入れようとすれば器が壊れる。社会的にも、無理が環境を悪化させていることは多いものである。
この「余裕」とは、何なのか、そしてどこから来るのか、ということをよく考えてみる必要がある。経済的金銭的余裕も、勿論ある。しかし、それよりももっと重要なものは精神的余裕である。ホリエモンは「金さえあれば、何でもできる」と豪語したが、残念ながら「金の分限」の範囲内のことしか出来ないことに気が付いていない。精神的余裕を大事にし維持していたら結果は大きく変わっていただろう。
昔の人は、人間に必要なものは「起きて半畳、寝て一畳」と言った。余計なものは不要、というより邪魔になる、という思想を持っている人が多かった。以上でもなく以下でもない必要なもの、即ち「分相応」が確保されていれば、それで十分満足していた。「知足(足るを知る)」の哲学である。現代人のように分不相応のものを求めるようなことはしなかった。分不相応なものを求めれば、必ず無理が生じる。無理が生じれば、当たり前だが、成るものも成らぬ。無理とは何か?無理とは自分の思慮を超えていることである。思慮浅ければ、無理ばかりとなり成就覚束ない。
となれば、無理を生じさせない算段をしなければならぬ。思慮を深くしてあらゆるものに敬虔な感情を持ち、自己の容量を大きくしなければならない。それには勉学も礼儀も必要である。これを渋沢栄一は「恭敬」と言っている。人に対して恭敬の気持ちのない人は事に対しても必ず恭敬の気持ちがない。恭敬の気持ちのない人は気持ちを一つに集中することが出来ず、注意が散漫になって物事が成就しない。逆に、恭敬の気持ちの盛んな人は万事に注意深いから危険も失敗も無く、精神統一、集中力に秀で自己研鑽に励み事を成し遂げる。知と実と人に対する恭敬の気持ちが余裕を生む。その余裕の大小は肚で決まる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 文化紀行 <邪馬台国考L> 日本書記の怪、「八女縣行幸と八女津媛」 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 Enter From 検索 Update & BackNumberIndex Previous Home Culture