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現代は、即物の時代という観がある。快を幸福と感じ、不快を不幸と感じる。お金持ちであることを豊かと感じ、お金が無いことを貧しく思う。悩みの多いことを恵まれないと感じ、悩みの無いことを恵まれていると思う。果たして本当にそうだろうか?
富も、裕も、快も、楽も、全て心の姿である。昔、禅宗の始祖達磨大師(だるまだいし)は九年もの間、石壁に面座し、そして得た答えが「成る程。ただ睨んでいるだけでは、壁に穴は開(あ)かぬ」だったと言う。6世紀ごろの中国の「悟り」の話であるが、人間は悟りを得ることによって初めて平常心に到達するということだろう。
以前、Thinking の項でも述べたように、人は考えることで成長し、考えることを止めたとき成長は止まる。考えることは悩むことである。誰しも、悩めば迷う。迷うから逡巡する。逡巡するから時間ばかりが過ぎる。他者には、慎重にも見え、小心にも見え、意志薄弱にも見え、合理性の欠落にも見え、決断力の不足にも見えるかも知れない。
悩みは気力と情熱を奪うもので、誰もが持っている一面が一時顕われたに過ぎない。その陰で等しく思索の機会を与えて呉れる。迷い、悩み、考える、という思索は、千路に岐れて海に注ぐ大河に似て、行き着く果てを見えなくする。しかし、解決の港がそれだけ増えたことに思い至ったとき、喜びと共に希望が湧き、自信が生まれ、目の前に高く澄んだ青空と、遥か遠くに広く長い水平線が開けるだろう。
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