以久遠氏の Beauty,Business & Favorites 文化人間学 VOL-07/1999.4.1号
人を超える 「葉隠(はがくれ)」書の中には、目の醒めるような珠玉の言葉が随所に出て来る。江戸期の著書にもかかわらず、実態は斬新で分かりやすい実学的思想書である。膨大な事例を掲げて「かくあるべし」という教義が書かれているが、中でも驚くべきは、
「人を超えようと思ったら、自分を批判させよ」
という言葉である。この言葉には目が覚める思いがする。人間というものは元来お節介が好きな動物のようである。自分の事はさて置いて何だかんだと世話を焼きたがる。思うようにならないと、批判を始めるようになる。誰でも、自分の言動に対して他人からとやかく言われることは嫌なものだが、この言葉は正しく発想の転換である。
人から批判されて腹の立たない人はいないだろう。大抵、カーッと頭に血が上り、「コンチクショウ!」と直ちに言い返したくなるものだが、葉隠は、批判という行為の主従関係を実に冷静に分析している。「批判を恐れるな。批判されるということは批判する者より優位にあるのだ」と。むしろ「批判を喜べ」と言わんばかりに、涼しい顔で対処しろと教えているのである。
一般的に、批判という行為は、上位者である権力者に対して、非権力者である下位者がとる言動である。従って、上位者が下位者を批判するという行為はあり得ないということになる。それは、叱責や忠告、あるいは意見を問うという形になる筈なのである。ということは、批判する者は批判という行為をとることによって、自らを無意識のうちに相手と同等か、あるいは下位に位置づけてしまうことを意味する。即ち、批判された人は、批判された時点において批判した人を超えてしまう、という訳である。
なるほど!恐るべき卓見である!
こういう風に解釈すれば、たとえ批判されても腹も立たない。批判するという行為が如何に愚かなことであるか、ということを改めて気付かされる。要は、自らが己の言動にどれほどの信念を持っており、どれほどの責任を持てるかということなのである。
また、批判という行為に対して福沢諭吉が、「行為する者にとって、行為せざる者は最大の批判者である」と見透かし、痛烈な皮肉を述べていることも付け加えておこう。批判することは容易(たやす)く、批判ほど無責任な発言はない。何故なら、批判という行為は単に現状を否定するだけであって、何ら建設的な行動を伴わないからである。批判する者は口に出す前に、先ず行動すべきである。批判はそれからである。