∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 以久遠氏 の Beauty,Business & Favorites 巻頭 <113号>VOL. '0805 / 2008.05.01号 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 無 用 の 用
目先の損得に明け暮れ、大志・大望を抱き難い世知辛い世の中になってしまったが、いつの世においても、人を成長させ人の心に活力を生むものは自分自身のプライドと気持ちの持ち方如何である。今から1000年以上も昔の、中国の古人の言葉だが、今の世においても多くの示唆を与えて呉れる含蓄深い言葉を紹介しよう。
列子に「呑舟(どんしゅう)の魚は枝流(しりゅう)に游(およ)がず(呑舟之魚 不游枝流)」という言葉がある。志の高い人や優れた人物を大魚や大鳥にたとえて、「舟を呑み込むような大きな魚は大河にしか棲まない。支流のような小さな川には棲まないものだ」という意味であるが、史記にも「燕雀(えんじゃく)、安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや(燕雀 安知鴻鵠之志哉)」という同じような言葉がある。鴻鵠とは白鳥などの大鳥のことで、燕雀とは燕や雀などの小さな鳥のことだが、意味は「燕や雀などの小さな鳥には白鳥などの大きな鳥の考えていることは理解できない」ということになる。
列子も史記も、大望や大志を抱く者や立派な人物には、それなりの環境が必要である、ということを教えているのだが、大望や大志を抱く者や立派な人物は支流に入っては駄目だよ、あるいは燕雀と同じような気持ちでいたら駄目だよ、という意味にも採れるし、また、そういう者を大成させるためには、それなりの環境を用意し与えなければならない、という意味にも採れる。
ただ、この二つの言葉は、使い方を間違えると「俺は、お前さんたちとはモノが違うんだよ」という傲慢な印象を与える恐れがある。この言葉は他人に対して口にする言葉ではなく、ひたすら、自分の腹の中だけに納めて自らを律する言葉としておかねばならない。
また列子には「大道は多岐なるを以って羊を亡(うしな)う(大道以多岐亡羊)」という言葉もある。「大きな道には分かれ道が多いので、逃げた羊を見失ってしまい易い」という意味であるが、「人間は大きな目標を持って、脇道へ逸れることなく大道を進まねばならぬ。枝道に紛れ込んで目標を見失うようなことがあってはならぬ」と、脇目も振らず邁進することの大切さを教えている。あっち、こっちと脇道に首を突っ込んでばかりいると、成るものもならない、と警告しているのである。
しかも、邁進するにあたって注意しなけれならないことは、「人は皆、有用の用は知っているが、無用の用も知っておかねばならぬ(人皆 知有用之用 而 莫知無用之用也:荘子)」と注意していることを肝に銘じて欲しい。「用」とは「役に立つこと」、「無用」とは「役に立たぬこと」「無益・無駄なこと」、「有用」とは「役に立つこと」「有益なこと」という意味。従って「無用の用」とは、「一見役に立たぬようだが、実はそれが大変有用(要)なのだ」という意味になる。
時代が人間の心や社会から余裕を失わせてしまった所為かも知れないが、現代は、政治家も、役人も、経営者も、サラリーマンも、メディアも、世の中全体が目先の「有用」ばかりに目が向き過ぎる。もっと「無用の用」に目を向ける余裕を持たねばならぬ。「狭い了見で物事を見ていると、有用なものも無用に見えてしまい、肝心な大事なことを見逃してしまうぞ」と荘子は警告しているのである。
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