∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 以久遠氏 の Beauty,Business & Favorites   巻頭   <116>VOL. '0808/ 2008.08.01 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

幸不幸   

 現代は、即物・直感の時代という観がある。深く考えることを放棄し、目の前に現われた現象の一面のみを見て判断する人が増えた。快であれば幸福を感じ、不快であれば不幸と思う。楽しければ幸福を感じ、悲しければ不幸と考える。喜びは幸福であり、怒りは不幸である。哀は不幸であり、楽は幸福である。

 同じように、お金持ちであることを幸福と考え、お金が無いことを不幸と感じる。中には、家や車があることを幸福と考え、家も車も無いとき不幸と悩む人もいる。悩みが無いことを幸福と感じ、悩みに悩まされていると不幸と考える。気持ちに余裕があれば恵まれていると考え、余裕が無ければ不遇と考える。

 そして、持てることを羨み、持たざることを憂う。全て、何事も、他者と比較して己の幸不幸を考えようとする。果たして、これは正しいことだろうか?

 富も、裕も、快も、喜も、怒も、哀も、楽も、全て自分自身の心の姿である。自分自身に必要な量が確保されていれば、十分、幸福である筈だが、人の心は往々にして他人と比較して自分の幸不幸を判断するという過ちを犯してしまう。6世紀ごろの中国の「悟り」の話であるが、禅宗の始祖達磨大師(だるまだいし)は九年もの間、石壁に面座し、そして得た答えは

   「成る程。ただ睨んでいるだけでは、壁に穴は開(あ)かぬ」

だったと言う。他人を意識し他人と比較している限り、「悟り」は開けず、平常心に到達することもないということである。「人は思考することで成長し、思考を停止したとき成長は止まる」という言葉があるが、言い換えれば、「考えることで平常心が得られ、平常心が人を成長させる」ということになる。

 考えることは悩むことである。誰しも、悩めば迷う。迷うから逡巡する。逡巡するから余計な時間が過ぎる。その悩める姿は、他者には、慎重にも見え、小心にも見え、欲にも見え、意志薄弱にも見え、合理性の欠落にも見え、決断力の不足にも見え、怯(おび)えにも見えるるかも知れない。

 迷い、悩み、考える、という思索は、千路に岐れて大海に注ぐ多数の小河に似ている。一見、行き着く果てを見えなくするが、どの小河もいずれ大海に到達する。悩みは、時に気力と情熱を奪うけれども、その陰で思索の機会を与える。思索の答えは無限である。答えの選択によって挑戦の喜びと共に希望が湧き、自信が生まれ、目の前に高く澄んだ青空と遥か遠くに広く長い水平線が開ける筈である。

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