∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 以久遠氏の Beauty,Business & Favorites 巻頭 <117号>VOL. '0809/ 2008.09.01号 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

最近、テレビのバラエティー・クイズ番組でも漢字をテーマにしたものをよく目にする。携帯メールやブログの普及が若者に書き言葉の大事さを見直す切っ掛けを与えたのだろうと推測しているが、実に良いことである。世界の言語の中で、日本語ほど複雑な言語はないと否定的に言われているが、私は、日本語ほど素晴らしい言語はない、とつくづく思う。特にその思いは、話し言葉よりも書き言葉に強い。
例えば、「うしなった」という現象を漢字で表現してみると、「失った」あるいは「喪った」となる。「失った」には「また見つかるかも知れない」というニュアンスがあるが、「喪った」からは「二度と再び戻って来ない」という悲しみが伝わって来る。「失」という漢字は「見失う」という言葉をイメージさせ、「喪」という漢字は「喪中」とか「喪服」をイメージさせるからである。漢字そのものは中国に発するものだが、日本では全く異なった発展をしており、日本で生まれた漢字も少なくない。
和製漢字としては、「躾(しつけ)」「峠」「裃(かみしも)」「凪(なぎ)」などが有名だが、「凩(こがらし)」「働く」「搾(しぼ)る」「咄(はなし)」「嬶(かかあ)」「雫(しずく)」という字などもそうらしい。これらの字からは、たった一文字ながら、一目見ただけで目の前にふつふつと情景が浮かんで来る。微妙なあるいは複雑な想いを伝えることが出来る漢字の表現能力には素晴らしいものがある。私は時々、正しい使い方ではないが、ニュアンス的に「失」でも「喪」でもないと思ったときは敢えて「亡った」と当て字で表現することもある。
話し言葉自体は、最後まで傾注して聞かないと肯定文なのか否定文なのかが分かり難い、という非合理性を有しているので、他の言語に比べて特に優れているとは思わないが、その素晴らしさは文字にしたときに顕著に現われる。その素晴らしい表現力や表象力は、漢字、平仮名、片仮名という三通りの文字を持っているところにある。平仮名のおくり方ひとつで「動」の状態を表現したり「静」の状態を表現したり出来る。同じ漢字文化の中国語には無い表現能力である。
更に、縦書きのみならず横書きにしても全く違和感がないし、横書きにしたときにはアルファベット文字の外国語をそのまま文中に挿入して表現しても違和感がない。ということは文章表現力において非常に広いことを示している。このような柔軟な表現方法を持っている言語は、世界広しと言えども日本語の外には見たことがない。
特に漢字は、形象や心象や表象に起源を有する文字であり、漢字自身に表情・意思・感情を持っているし、それらを繋ぐ平仮名は正確に伝達して呉れるだけでなく硬くなりがちな文章を柔らかく読みやすくし、無味乾燥な片仮名は外国の地名や外国人の名前を記号的に印象付けて呉れる。文字言語から感情を消したければ、法律のように片仮名でおくればよい。言語学的には、漢字が中国から入って来た言語であることは間違いないが、話し言葉そのものは、中国・韓国・インド・インドネシア・モンゴルなどのアジア諸国の言語が混ざり合って唯一無二の言語が出来上がったものと思われる。
象形文字である漢字の研究は白川静氏(1910〜2006)が有名であるが、彼は著書「漢字百話」(中公新書)の冒頭で、
「…言葉には音声言語と文字言語とがある。音声言語は直接的な伝達方法であるから言葉の本来的な在り方であるが、『文字言語 は文字をその媒体とするものであるから、謂わばその副次的な形式に過ぎない』とする考え方が現代の言語学の伝統をなしてい る。代言語学の祖であるスイスの言語学者ソシュールの言語理論では、『語られるものこそ言語学の対象とすべき唯一の言葉であ り文字言語は音声言語のではなく書き写された形式に過ぎない』とする。 従って、文字言語は音声言語と対等に並ぶものでなく、文字は音声を写すものに過ぎない。それで言語学において文字が取り扱 われるときには、殆どその表音の在り方に関する問題に限定される。…(中略)殊に表音機能を一義的目的にとしない漢字は、文字 論においても殆ど無視され、除外されている、と言ってよい。そして西欧の研究者のそのような態度に、わが国の研究者も追随 するのが定めである。…」
と、文字を表音的に記号か符号程度にしか捉えていない西洋言語に比べて、まるで絵画か映画のように感情をも表わす映像言語として、表音・表意・表象的な漢字・平仮名・片仮名言語を見直すべきであると問い掛けている。言葉の美しさとは言葉の正確さでもある。
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