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私自身が南国九州の生まれである所為か、東北や北海道という北国には異国情緒にも似た非常に強い興趣を覚える。東北独特の民族的文化遺産、先住民アイヌを抜きにしては理解できない縄文時代から連綿と続く長い歴史と事件の数々、朴訥素朴にして純情純真な東北の人々、山の幸海の幸溢れる郷土色濃い食文化、等々魅惑溢れる北の国々である。
東北地方というのは、地形的にも日本海側と太平洋側を分断するように中央に背骨とも言える奥羽山脈が貫通し、その両脇に北上山地、阿武隈山地、月山の出羽山地などの大小山塊が瘤(こぶ)のように、あるいは皺(しわ)のように入り組んで複雑な地形を形成している。これらの南北に長い山塊は如何にもプレートが日本列島を圧縮して出来た皺(しわ)のように見える。山地と山地の間の広大な谷部には北上川や阿武隈川などの大河が流れ、穀倉地帯の平野が広がる。もちろん、盆地や沼も多い。このような幾つもの山地が層をなす地形は東北特有のもので、他の地方には見られない。
これほど独特な地域でありながら、訪れたことがないという訳でもないのに、何故か、このホームページに東北の入り口である福島県の稿がない。このことは以前から気が付いていた。何か書かねば、と常々気にはしていたが、なかなかペンが走らなかった。いざ書こうとすると、旅行雑誌に紹介されているような卑近なテーマしか思い浮かばず、文才の無さを恨みつつペンを置いてしまっていた。
何故だろう?思い返してみると、温泉にも浸っているのだが、ゆっくり腰を据えて歩いたという記憶が無い。どうも福島県というのは「通り過ぎる」地区だったようである。大抵は日帰りか、山形、宮城、岩手への途中立ち寄りの場所か、あるいは翌日に備えて泊まるだけの慌ただしさばかりで、ゆっくり寛いだ旅の記憶がない。その所為で、世間ありきたりの感慨しか印象に残っていないのだろうか。
福島県というのは、地形的に太平洋岸、阿武隈山脈、奥羽山脈というユニークな形態の県で、会津、中通り、浜通りの三つの地区に分かれている。会津地区は内陸部猪苗代湖の西、会津磐梯山の南に位置し、中通り地区は栃木の矢板から白河、郡山、福島を通って宮城の白石に抜ける奥羽山脈と阿武隈山脈に挟まれた東北本線沿いの地区で、浜通り地区は阿武隈山脈の東側、茨城の高萩から太平洋岸をいわき、鹿島、相馬を通って宮城の仙台に入る常磐線沿線の地区である。
これらの三地区は、大きく分ければ、堅物で生真面目な頑固者の武士気質の会津、漁師猟師気質の浜通り、宿場町が連なる商人気質の中通り、というようにそれぞれの郷民性が顕著に異なるそうである。そう言えば、会津若松出身の友人は頑固者だったし、中通りの郡山で大成功しその後没落した知人は如何にも豪気な商人だったような気がする。栄えている地区は阿武隈川が流れ、国道4号線や東北高速道路や東北新幹線が走る中通り地区である。宮城県に近い北部に福島県の県庁所在地の福島市があるが、福島県は矢張り、歴史的にも文化的にも観光的にも松平容保の居城、鶴ヶ城のある会津地区が象徴的中心地だろう。
福島には名所旧跡もふんだんにあるが、真っ先に思い浮かぶのは矢張り磐梯山であろう。昔は富士山のように秀麗な姿形をしていたそうであるが、数百年に亘る数度の大噴火によって秀麗な山頂部が噴き飛ばされた跡が生々しく痛々しい磐梯山。山頂部が吹っ飛んだ磐梯山の異様な雄姿には妖気さえ感じた。磐梯山の噴火によって誕生した山麓の五色沼の赤、青、緑、碧空色の鮮やかにして華美な色合い。目を見張るような妙なる美しさには心底魅惑された。
無論、有名な喜多方ラーメンも食したが、雪降る中、幽玄に霞む喜多方の町の静けさには新しい魅力を発見したような思いがした。喜多方の旧家の片隅に建っている手入れの行き届いたなまこ造りの土蔵倉の中に居住部分があることに驚いた。蔵の入り口の分厚い重厚な観音扉を開けると、扉の向こうに想像以上に煌(きら)びやかな書院造りの座敷があった。湿気を全く感じさせない心地良さそうな喜多方の有名な「蔵座敷」である。会津若松では、飯盛山から鶴ヶ城を望見しつつ凄烈な自決を遂げた幼気ない白虎隊士らに涙を催した。
春夏秋冬、訪れた季節に応じてそれなりに強烈な印象は受けているの間違いないが、不思議なことに何故か、名産、名物、民芸、等々の印象的記憶が薄い。民芸は?と問われても、直ぐには答えが出て来ない。仲通りの郡山北部の二本松安達町では、田園地帯の遥か西方に秀麗な安達太良山を望見した。瘤(こぶ)のように盛り上がった独立山塊峰である。山頂の上にたなびく雲に映る夕陽も美しいが、夕陽を背に浮かぶ安達太良の黒い山影も綺麗である。
高村光太郎が「智惠子抄」の中に
「智恵子は東京に空がないと言ふ、ほんとの空が見たいと言ふ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。」
と書いた、妻智恵子が懐かしんだ清らかに美しい故郷の山である。
「これが、智惠子が『阿多多羅山』と書いた山か!」
40数年前、九州の片田舎から初めて東京に出て来たとき、一番先に驚いたのが「東京の空」だった。今のように超高層ビルが林立している訳ではなかったが、当時既に東京の空は大半を高層ビルに占領されて狭く窮屈で、おまけに埃(ほこ)りで汚れていると真から思った。そこに澄んだ青い空はなく、夕方になると異様に赤茶っぽく、砂が舞っているような汚れた空が現われ、夜になっても、星一つ見えない空だった。
その空を見たとき、智惠子と同じように極く自然に「東京には空がない」と思った。智惠子が安達太良山の「青い空」を見にわざわざ郷里の安達町(旧安達郡油井村)に帰った気持ちが分かるような気がする。「これが空だ」と実感したのは、数年前、ハワイ島のマウナケア山麓の2300mの高地で見た星が降り注ぐような星空である。
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