∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 以久遠氏 Beauty,Business & Favorites   巻頭   <126>VOL. '0906/ 2009.06.01 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

理想と、現実と、妥協と

 最近の世相はあらゆる年代から夢と希望を奪ってしまった観がある。それが現実だが、夢や希望が奪われた社会ほど人間の心を蝕み荒廃させるものはない。特に、夢や希望に溢れていなければならぬ若い者の中に、夢も希望も抱けない若者が増えていることは大問題である。本来、若者に夢や希望を与えるのは教育や政治である筈だが、教育現場は荒廃し、教育行政を掌る教育委員会には問題点が多く、行政のトップである政治は詐言多く無責任で出鱈目過ぎる。恐らくこんなところにも原因の一端があるだろう。

 こんな時代なればこそ、失われた夢や希望を取り返すために夢や希望について再考してみることも無駄ではあるまい。夢や希望とは即ち理想である。言い換えれば「観念的目標」である。理想に対するものは現実と妥協である。現実とは、自らが体感している「現在の事実」である。

 「理想と現実」という言葉は「理想と現実のギャップ」という意味で使われることが多く、概して余り良い意味には使われない。しかし、理想を現実と対立的に捉えるか、あるいは理想を現実の延長として捉えるか、あるいは妥協を理想に向かう過程の一段位として捉えるか、によって、即ち意識の持ち方や物の見方次第で人生は明るく開けもし暗く閉塞もする。

 理想と現実を「格差」的に捉えれば、暗い面ばかりが見え明るい面が見えなくなる。明るい面が見えなければ、夢や希望が湧いて来るような情況にはならないだろう。明るい面は、実は妥協によって見えて来るのである。妥協が理想と現実の間にあれば、妥協は成長という階段の「踊り場」と認識し、停留は「一時の充電時間」という気が生まれ覇気をもたらす。妥協は夢も希望も奪うことは無い。

 妥協を卑怯な恥ずべき行為と解する人は多いかも知れないが、決してそんなことはなく、「妥協は将来への行為」と捉えることによって心に「裕(ゆと)り」をもたらす。妥協とは、対立し合っているものの「一時」の折り合い点と考えなければならない。妥協を過去的行為として捉え、「妥協=現実」と考えたとき、即ち妥協を終着点と捉えた時、心に無力感、挫折感、厭世感が生じる。未来への妥協という精神的「裕り」こそが夢を招き希望を呼ぶ。

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