∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 以久遠氏 Beauty,Business & Favorites   巻頭   <130>VOL. '0910/ 2009.10.01 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

菜根譚より 公平正論、減省一分  

 17世紀ごろに処世訓を書いた菜根譚(さいこんたん)という書物がある。明時代末期の洪自誠(応明:1573〜1620?四川省の人)という人の著作で、題名の「菜根」とは「野菜の根」即ち「粗食」を意味する。「人間はいつも菜根をかじってさえおれば万事巧く行く」という宋の儒者汪革の言葉を書名としたものだそうである。要するに「人間は欲に拘るから万事巧く行かないのだ。悟るべし。」と言いたいのだろう。日本では分かり易い通俗的な処世訓の書として禅僧の間で愛読されて来たらしいが、我々一般人にとっても多くの示唆を与えて呉れる。112項に「公平」と「正論」について述べた言葉がある。

     公平正論 不可犯手 一犯則貽羞万世 

     権門私竇 不可着脚 一着則点汚終身

 前段は「公平で正しい論には逆らってはならない。一度逆らったら、その恥は末代まで残(貽)る」という意味で、後段は「権力のある個人宅には足を踏み入れてはならない。一度でも踏み入れれば、その汚点は一生涯残る」という意味である。つまり、人生にはどんなことがあろうと、不正に組みしたり、権力者に媚を売ったが最後、自分だけでなく家族や子孫までも悲しい思いをさせることになる、ということである。信念を持たず利によって右往左往する日和見主義の者には耳が痛いかも知れないが、言い換えれば、人たるものは「平常心是道」と心得、公正中立を心掛けよ、ということだろう。

 また、131項に「減省一分、超脱一分」という言葉がある。兎角、人間というものは往々にして、分を超えて欲利を求めたり、差し出がましく人と関わったり、言わずもがなのことを言ってみたり、無闇矢鱈に思い込んでみたり背負い込んだりする。そして、挙句の果てに自分自身を苦しめ追い込んでしまったりする。この「減省一分、超脱一分」の項は、一歩下がって冷静に自分を見ることで、新たな道が開けることを示唆しているのだろう。

     人生減省一分 便超脱一分      (※一分:いちぶん。少し。僅か)

     如交遊減 便免紛擾         (※紛擾:ふんじょう。紛々擾乱。乱れる様)

     言語減 便寡愆尤          (※愆尤:けんゆう。過ち。過失)

     思慮減 則精神不耗         (※不耗:こうせず。磨り減らない)

     聡明減 則混沌可完         (※混沌:こんとん。天地未分の状態であるが、ここでは心の様)

     彼不求日減 而求日増者 真桎梏此生哉     (※桎梏:しっこく。手枷せ足枷せ。自由を束縛すること)

 難しい漢文だが、じっと見つめていると何となく意味が伝わって来る。「人生というものは、何かをほんの少し減らせば、その分だけ(世俗を)超脱出来る。如(も)し付き合い事を減らせば、便(すなわ)ち細々したこと(紛擾:ふんじょう)から解放され、言葉を減らせば過ち(愆尤:けんゆう)を減らすことができ、思案を減らせば精神的消耗もなくなるし、賢さ(聡明)を減らせば混沌の無い心で完(まっと)うできる。日々減らそうとせず、逆に増やして行こうとする者は、真実、自分自身で自分自身の人生を手枷せ足枷せ(桎梏:しっこく)するようなものだ」という意味である。

 混沌とした時代なればこそ、人々には覚悟心と達観と平常心が求められる。「立身処世」を述べている44項では「身を立てるには一歩高く立つことが必要であり、世を処すには一歩退くことが肝要なり」と説いている。

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