以久遠氏 Beauty,Business & Favorites     ビジネス談話@    VOL-09/ 1999.5.1号

現象に囚われる   

 バブルの最中からバブル崩壊後の、これまでの十数年間というもの、世の中全体が結果の良し悪しに拘り過ぎるようになって、どうも物事の本質や原理というものを軽んじ過ぎて来たきらいがある。あるいは、社会風潮そのものが本質から目を逸らしているようなところがあった。

 大企業も、中小企業も、政治家も、それに役人までもが拝金主義者になってしまった観があるが、金儲けとは結果なのである。 従って、日本国中が「金儲け」という現象に囚われてしまった。 金儲けが悪い訳ではないが、「結果として金儲けが出来たのか」、あるいは「金儲けだけのために何かをするのか」という違いを理解しなければならないのである。

 例えば、「企業は儲けなければならない」というのは真実であるが、「どんな方法でもよいから、ただ儲ければよい」というのは真実ではない。企業は社会正義と国民一人一人の血税によって整備された社会資本の上に存在しており、その前提の下に企業活動を行なっているのである。その結果として利益をあげ、国家に法人税を納めることによって社会に貢献するのでなければならない。「手段を問わず、騙(だま)してでも、あるいは誰かを犠牲にしてでもとにかく儲ければよい」という思想は国民に対する裏切行為であり、瑣末(さまつ)の現象に囚われ過ぎているのである。

 現象に囚われるということは結果に拘るということであり、結果に拘るということは表面に現れた現象に囚われて、本質を見失うということになる。このように、表に現れる現象や言葉ばかりを鵜呑みにしていると、とんでもない判断間違いを犯す。結果優先で、現象を判断してはいけない。どんな事象にも、何がそうさせるのか、あるいは何がそう言わせるのかという原因、即ち「何か」が必ず存在する。言葉の場合には、必ず邪な心が存在する。従って、何かが起こった時は原点に立ち戻って、本質からじっくりと論理を組み立て直すことが大切である。 常に、原理原則と自分と他人の心を大切にしなければならない。

 さもないと、あらゆる現象を利己的に判断し、自分に都合の良いように正当化してしまうという性癖が知らず知らずのうちに身に付いてしまう。「他はどうであれ、とにかく己さえ良ければ」とか、「自分のために動く人間だけいればよい」という発想をする人間になってしまう。何故、儲けなければならないか、ということを考える前に、企業は何のために存在しているのか、人は何を礎に働くのか、という原点から発想することが出来ない人間になってしまうのである。

 この原点が本質である。本質を見失って現象に身勝手な理屈を付けた結果が、世界中にセンセーションを巻き起こした住専問題であり、金融破綻を起こした金融機関問題であり、大商社によるかっての米やトイレットペーパーの買い占め事件などである。これらの事件はその起源を遡れば、企業活動が社会資本と社会正義の上に成り立っているという原則を逸脱して、企業が社会の利益を犠牲にして一企業の利益のみを追い求めたところに帰着する。

 企業が社会とともに健全に発展するためには、ビジネスマンというより人間として如何なる場合にも、本質から発想するという原理原則を忘れてはならない。そのためには、常日頃から本質から判断するという思考方法を意識的に訓練すると同時に、豊富な実体験と幅広い知識と柔軟な判断力を身に付けなければならない。そうすることによってはじめて、現象の裏面を鋭く洞察することができるようになる。

 現代は、まだハウツー礼賛の観が無きにしも非ずであるが、ハウツーとは、結果を予測して手段から現象を起こさせようとするコンピューター的発想の即物的な手法である。効率を徹底的に追求したアメリカにおいて発達した管理手法でYESNOの二つで構成されている。極めて合理的な管理手法であるが、業務がルーティン的に確立されていて人間を機械的に使用する場合には、生産性も向上できるし非常に効果がある。

 しかし、経営とは人の心を大前提にして成り立っていることを忘れてはならない。従って、手法の前に理念があり哲学がなければならない。ハウツーとは現象優先の思考方法である。そこには人の心の立ち入る隙間はない。ハウツーは手法を覚えたり技術を磨くためには効果的な方法であるが、本質を掴む訓練にはならない。新しいものの開発手法としても適当ではない。

 何故なら、YESでもないNOでもない事柄についてのハウツーが無いことを考えてみれば分かる筈である。ハウツーばかりに拘ったり頼っているとその場凌ぎの発想となって、本質的あるいは創造的発想が出来なくなる。しかし、残念なことに、書店に並んでいる本にしても原理原則や本質を説いた思想書や哲学書などは読まれず、マニュアル書やハウツー書ばかりが売れているようである。

 水はどんなに汚れても、汚れを沈殿させて自らを浄化するし、流れを阻害する障害があれば物凄い力で取り除く。しかし、バブル経済の最中においては、悪貨が良貨を駆逐するように本質尊重の発想は理想主義として軽視され、即物的な利益至上主義の陰に隠れてしまった。しかし、バブル経済の破綻を契機に、社会現象の中にも綻びが表面化し始めて来ている。今、現象に拘ることに疑問を抱き始めた人達が、特に若い世代の人達の間に増えて来ている。 やっと原理原則の重要さが見直され、哲学や本質論が陽の目を見始めて来たのである。良識の時代が到来しつつあるように思える。

 同じことは北半球と南半球の、所謂、南北問題にも言える。先進国は先進技術と強大な経済力をもって後進国の社会利益を剥奪しているようなものである。先進国は自国の利益のために、後進国の人達に犠牲を強いることを正当化しているにすぎないのである。


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