以久遠氏の Beauty,Business & Favorites ビジネス談話A VOL-09/ 1999.5.1号

私自身のことを例に挙げて恐縮だが、私は管理部門に9年くらいいて、その後、盛岡の工場で製造部門の係長を一年経験して、東京に戻ってから営業に転じた。初めての営業職で、まさしく「三十の手習い」そのものであったが、幸いなことに上司に恵まれた。半年後の人事異動で「営業の達人」と呼ばれて定評のある課長が私の上司として仙台から赴任して来たのである。彼に手取り足取り、何から何まで実に丁寧に教えて貰った。営業の魅力と奥の深さは、彼に巡り会わなければ分からなかったかも知れない。
経理や法務や人事などの管理業務については 10 年ほど経験していたのでそれなりに自信と自負心があったが、営業は同期入社の仲間とは10年のブランクがあり、10 年近いハンディを背負ったような気持ちになり些か焦ったものである。しかし、焦ってばかりいてもしようがないので、漠然とながらも「3年間で、彼らに追いつくぞ」という目標を立てた。
彼らが 10 年間にお客さんと飲んだり食ったりした累計時間と同じ時間を、3 年間に凝縮し消化出来れば追いつけるだろうと単純に考えた。人が週一時間付き合うのであれば、私は3時間付き合おうという訳である。同じように、人が月1回付き合うのであれば、私は3回付き合うのことを目標とした。そのために、お客さんに会える機会は出来るだけ逃さないように心掛けた。これは、口で言うほどには楽ではなかった。
就業時間後のスケジュールは全くの人任せで埋まった。帰宅は毎日午前様という生活であった。例えば、突然、商社の友人から「マージャンメンバーが一人足りないから来ないか」と電話があれば万難を排して出掛け、あるいは「山形の建設会社の人が上京して来たので食事することにしているが、来ないか」と誘いがあれば、これも足を運ぶという生活である。今思いなおしてみると、当時は 30 代で、体力的にも精神的にも最も気力が充実していた年齢だから出来たのだろうと思う。
課長からは、営業とは何ぞや、営業マンとは如何にあるべきか、ということについて、「商品を売る前に、先ず自分を売れ」ということを口を酸っぱくして教えられた。即ち、「商品を売りつけることを営業の仕事と思っている人が多いが、お客さんは商品を買っているのではない、営業マンを買っているのだ。営業とは自分を買って貰うことだ。従って、先ず自分を売り込め。どうすれば自分を買って貰えるか、自分の売り込み方を考えろ」という訳である。
課長は、「商品知識なんてものは一所懸命営業をしていれば、その内自然と覚える。知らないより知っていた方が良いが、絶対条件ではない」という程度しか商品知識の有無を評価していない。自社の商品知識さえ知っておれば商品が売れるというのであれば、製造や開発に携わっている人達が最も優秀な営業マンということになるという理屈である。むしろ、商品に惚れるなと言われることの方が多い。お客さんが最も知りたいことは、他社品と比べて何処がどの様に違うかということである。
その点、トップセールスマンと言われる人は、お客さんに合わせて的を得た説明をする。お客さんをよく知っているのである。他社の商品についてはお客さんの方がよく知っている。親しくなれば、お客さんが違いを教えて呉れるのである。
課長は当時、仙台営業所の初代所長で東北全域を統括していた。実に楽観的で明るく、タフでバイタリティーの溢れた人である。彼の行動力は、取引先の人達から「○○天皇」と呼ばれるくらいに、「猛烈」という言葉そのものであった。そして、彼の赴任するところは全て見違えるように活性化し、業績も増収増益になるという、人を活かして使う名人であった。彼は仙台のあと東京本社へ転勤になり、私の上司となったが、お客さんに対しても部下に対しても実に濃やかな気配りをする人であった。そのせいだろうと思うが、大半の商売の種はお客さんの方から持って来たような気がする。
当時、既に彼の営業マン育成指導には定評があった。社内では、多くの営業マンが就業時間内、時間外を問わず彼の下に集まり、彼の一言半句、一挙手一投足を見習った。そのために彼を中心としたインフォーマルグループが出来、彼の姓をとって「○○学校」と呼ばれていたが、生徒の多くが現在も社内や転職した先々で優秀な管理職として活躍している。
思い返してみると、私自身、競合商品を含めた、広い意味での商品知識や市場動向などは、お客さんに教えてもらったことの方がはるかに多い。確かに、自社商品の知識は社内で学ぶ方が早いし正確であるが、社内で知識を得るだけではどうしても知識に偏りが出る。営業マンの場合は「井の中の蛙(かわず)」になっては商品を売ることはできない。お客さんは商品も求めているが、情報も欲しがっているのである。従って、どうしても外部から学ぶことが必須で、結果として自社製品についてもクールに見ることが出来るようになる。物の見方が広くなると、営業力にも幅が出て来る。