以久遠氏の Beauty,Business & Favorites 海外旅紀行 VOL-09 / 1999.5.1号

桂林(グイリン)の街
香港が中国に返還される半年前の1996年11月の中旬、得意先が主催する中国視察団の一員として中国南部、広州の桂林(けいりん)を訪れた。桂林は中国読みでは「ぐいりん」と読むが、日本語読みの方が風景に合って清しい。桂林へは返還間際の香港を経由して入った。香港から西北へ空路2時間余り、中国南部の約600kmくらいの奥地である。中国はさすがに広大な国だけあって、桂林空港は片田舎の空港ながらも成田空港や関西空港よりも遥かに大きい。しかも、航空機は疎らにしかなく滑走路は広々と広大で如何にも大中国らしくゆったりしている。
桂林は、赤茶けた色をした粘土質の土壌の上にある街で、いかにも痩せた土地という感じがする。だだっ広い道路は簡易舗装か土のままで、風が吹くと土埃(つちぼこり)が舞い上がる。道には人と自転車が溢れかえり、自動車は疎らにしか見当たらない。街行く人達は色彩の乏しい粗末な木綿の服を着ており、病弱そうな痩躯の人ばかりで、ビヤ樽のような太った人は殆ど見掛けない。体形を見ても見るからに貧困の街である。
街路の感じは大正時代か昭和初期くらいの文明度だろう。道路だけは広く、延々と1kmも続くかと思われる道路脇の露天の市場にはあちこちに鶏が両足を荒縄で括られ生きたまま逆さまに店頭にぶら下げられている。逆様になった赤い鶏冠(とさか)を忙(せわ)しく右に左に動かしながら、道行くお客さん達をキョロキョロと物珍しそうな目付きで見廻している。その下では、店の主人が生きている鶏を俎板(まないた)の上に押さえつけ、幅広の包丁を慣れた手付きで操りいとも平然と料理している。日本の家庭の台所から、既に40年くらい前に消えた光景であるが、見慣れていない人は正視に堪えないだろう。何とも凄惨で残酷な光景である。日本より70〜80年くらいは遅れている感じがする。
ガイドの女性の話では、中国は国民の97% が漢民族で、残りの3%が少数民族とのことである。少数民族は全土で50数族おり、それぞれに居住区が与えられているそうである。余りにも広大な中国国土では、よもやお目にかかることもあるまい、と思っていたら、桂林が少数民族の町であった。桂林は、壮(そう)族という少数民族の居住区だそうで、ガイドさんも壮族の女性であった。
どうしてどの国も少数民族に対して差別的に対処するのだろうか?居住区を与えている国が多いが、どの国も辺鄙(へんぴ)な貧しい土地に住まわせている。桂林も同じく痩せた土地で産業らしい産業もなく、「漓江(りこう)下り」の観光業だけが収入源の街である。従って、働く場所の大半は観光関連の仕事ということになる。お土産店の店員やレストランのウェィトレス、ホテルの従業員、勝手にスナップ写真やビデオを撮影して旅の終わりに売りつけるカメラマンなどが職場であり職業である。しかも、国家公務員なのである。
観光業では接客が主となり必然的に女性の方が働く場所が多くなる。女性は引く手数多であるが男性の職場は極めて少ない。従って、当然、女性の賃金は男性よりも高くなる。街中でぶらぶらしているのは男性で、女性は皆一生懸命働いている。一般的には、女性が月収8〜10千円、男性は6〜8千円くらいらしい。
そんな中で、日本語や外国語が片言でも喋れる女性は、観光ガイドとして引っ張りだこだそうである。観光案内をしてくれた壮族の29歳になるという独身の女性は、国立大学を卒業したインテリで、片言ながら日本語を巧みに操っていた。年収は300万以上らしい。彼女はプライドの高い人で、大卒であることをしきりに自慢していたが、少数民族の中では相当なエリートだろう。中国の水準から見れば、驚くべき高給取りであった。3階建てのマンションを建て、自分の部屋にはピアノも持っているという。今度は、車を買うつもりだと瞳を輝かせて言っていた。
漓江(りこう)下り
桂林は、奇岩奇峰で有名な漓江(りこう)下りの出発点の街である。日本の新聞や週刊誌には、「桂林−香港−広州」というツアー広告が頻繁に掲載され、奇峰と河下りの光景が写真入りで載っている。近年、日本人に好評の観光ルートのようである。広州の西域を流れる漓江下りは墨絵の世界に遊ぶかのようなのんびりとした船旅である。観光客はやはり日本人が一番多い。京都、埼玉、新潟、栃木、川崎の人達と一緒になった。大体2〜5,6名のグループである。白人も数組いたが、殆どがアジア系で台湾、韓国、フィリピンなどである。
私達の乗った船は120人乗りであった。観光船は、定員が4、5人乗りのジャンクのような小舟から、150人位は楽に乗れるような大型の客船まで100艘以上ある。大型船は、盥(たらい)のように平べったい船底の船で、まるで筏(いかだ)に二階建てのキャビン(客室)を載せたような不安定な形をしている。常時100艘以上の外国人専用の観光船が連なるようにして漓江を往き来しているそうである。
私たちは、桂林から陽朔(ようさく)迄の83km、漓江下りの観光船上の人となった。漓江の流域は山紫水明の地で、赤茶けた土壌の桂林と同じ地とはとても思えない。悠久たる流れの漓江は深い緑青色の水を満々と湛え、まるで澱(よど)むかのように静かな河である。漓江下り」は、10艘くらいの観光船が、50mから100mくらいの間隔を置いて連なるようにして発進する。まるで一本の綱に引っ張られるように連なってゆっくりと下って行く様は壮観である。明治時代に日本海に現われたバルチック艦隊もかくやあらん、と歴史の風景を思い出させる。
観光船団は対岸の景色を映し、鏡のように静かな水面を鈍いエンジン音を響かせ、そそり立つ奇峰や奇岩の間をうねうねと蛇行しながら、滑るように流れるように、緩やかに静かに進んで行く。大自然が造った悠久の巨大な墨絵の世界に誘われるように、右手に羊蹄(ようてい)山の峻峰を見ながら、あるいは筏に乗って魚を捕っている漁師の一家を見ながら……。
水路は、緑青色の深い所もあれば、川底の小石がキラキラと輝いて見える浅瀬もある。深さ50cm〜1mくらいの浅瀬では、ガリガリ、ガリガリと川底が船底を削るような不気味な破壊音を立てながら平然と進む。観光客は不安そうに船べりから身を乗り出して川底を覗き込み、「この船、大丈夫かなぁ。途中で分解するんじゃないの?」と観光客の間にざわめきが起こる。しかし、浅瀬を過ぎれば、何事もなかったかのように、再び滑るように流れるように進む。鈍い船のディーゼルエンジンの音も、観光客のざわめきも、雄大な自然に吸収される。壮大なる静寂の世界である。
陽朔(ようさく)迄の漓江下りは、延々5時間にわたる83kmの船旅である。途中で一箇所、港に立ち寄って休憩をするが、荒々しく岩肌の露呈した奇峰と、漓江の緩やかな流れと、雄大な自然だけが延々と続く何もない船旅であるが、全く退屈も飽きもしないのは不思議である。まるで雄大な自然に抱かれたように時間を忘れさせてくれる。
桂林の船乗り場へはホテルからバスで50分もかかる。船中でワインの付いた昼食を摂り、終着の船着き場である陽朔から桂林の町までバスで戻って来ると、とっぷりと日が暮れ午後7時くらいになる。それから夕食を食べ、ホテルに戻ると夜の10時であった。たっぷりと、丸一日かかるツアーである。しかし、それだけの値打ちは十分にあった。