以久遠氏 Beauty,Business & Favorites       旅紀行    VOL-10 /1999.5.15

地名に「館(たて)」の付いた街   

 地図を見るのは楽しいものである。歴史や文化、民情や名産名品など色々なことを想像させ、興味を掻き立ててくれる。宿場があったと思われる市町村名に「宿」の付いた町、大地主か郷士の大きな屋敷があったのだろう「屋敷」の付いた町、市(いち)が開かれていたことを示す「市」の付いた町、港や入り口を意味する「戸」の付いた町、等々……。これらの地名は日本国中到る所に万遍なく存在している。

 同じように、都市や町の名前に「館」という字のついた町がある。「館」の上の漢字によって「たて」、「だて」、「たち」、「だち」といった読み方をする。東北6県を旅していて気が付いたのだが、この名前の街はどういう訳か、東日本、特に東北に偏在して見られる。そして「館」の付く街の近隣には、「城」、「関」、「柵」、「門」の付く名前の街が必ず存在している。東北にしかないというのは、何故だろうか?

 古代日本には、大きく分けると四つの民族がいたという説がある。関東東北部より以北にアイヌ民族、中国四国より西に熊襲(くまそ)民族、近畿中部日本に大和民族、それに百済、新羅、高句麗からの技術者集団である渡来系民族である。ところが、最近のDNA鑑定による学説では、アイヌと熊襲は同一民族である確率が極めて高いらしい。

 と言うことは、渡来系の民族が古代日本に大量に移住して来たことによって、元々の原住民である日本民族が北と南に二分されアイヌと熊襲になったという推論である。民族名である熊襲に、アイヌが神として崇(あが)めている「熊」という字が当てられているのも何らかの因縁を示しているのかも知れない。時代とともにアイヌは北海道へ、熊襲は南九州へ追い落とされたのではないだろうか。渡来系と大和系が勢力を拡大し、征夷大将軍の御旗を掲げて、原住民系の民族を北と南に追い詰めたという訳である。

 そう考えると、「館」は征夷軍の将軍館のあった場所を意味しているのではないだろうか、と思える。館には「貴人の屋敷」と「砦」という意味があるが、東北には「館」の付く町が到る所にあることから見ても、貴人がそんなに多く住んでいたとは考えられない。むしろ、アイヌ民族を北方へ征討し、その地を占領して行った軍隊の砦の跡地が地名となって残ったと考える方が自然である。

 現存する「館」の付く町の分布を調べてみると、最南端が茨城県下館辺りで、最北端が北海道の函館となる。その間の地域は「館」の付く町が日本海側から太平洋側まで面状に広がって分布している。この事実から見ると、如何にも南から北へアイヌを追い詰めて行った征討軍の軌跡のように見えて来る。アイヌ民族は栃木県辺りより北にいたという説があることから考えても、尚更、「館」が下に付く町は、東征軍の砦址の名残りのように思えてならない。

 それでは、現在の日本地図で「館」の付く町を調べてみよう。先ずは、茨城県の下館市と群馬県の館林市から始まる。南限は茨城県の真岡街道沿いの下館市、群馬県の館林市、千葉の館山市といったところであろうか。千葉の館山という地名は、近隣に砦にちなむ名称の地名が見当たらないので「貴人の館跡」のようである。

 栃木県の茂木町の館町、福島県の陸羽街道沿いには館が岡町、新館町、伊達郡には月館町、相馬郡には飯館町。山形県の米沢街道沿いには館山町、山形市に南館町。

 秋田県の角館街道沿いの仙北郡角館町、花館町、大曲市に館前町。秋田自動車道の協和インターの近くに館野、寺館。羽州街道沿いの大館市、新館町、大間越(おおまごし)街道沿いの本館町、岩館町…。

 奥羽山脈の東側では、宮城県の陸羽街道沿いの築館町、仙台市内の高館吉田町、高館川上町、陸羽街道を下って岩手県に入ると館岡町、奥州藤原氏の平泉町に月館町、館前町、高館、判官館、北上市に中館町。

 花巻空港の北方、紫波インターの近くに土館町、盛岡市内には安倍館町。4号線を北に上って岩手山の麓に平館町、更に北上して二戸市には樽館町、館前町、青森県に入る手前の鹿角街道沿いに楢館町、九戸町の南岩手県側に館市町…。

 青森県に入って直ぐの三戸町には高間館町、八戸市の近くには高館町、十和田市の北方には新館町、西方には館町。陸奥湾岸には沼館町、三内丸山遺跡の傍に沖館町、浪館町、牛館町。青森空港の近くには小館町。弘前市の近くには田舎館村、岩館町、岩木山の北方に笹館町、八戸市と六戸町には高館町…。

 津軽半島の首辺りに兼館町、沼館町、館岡町、北部松前街道沿いには平館村。最後が海を渡って北海道の玄関、函館市である。函館の先に「館」の付く地名はない。

 これらの町は、古代からの街道沿いにあるのが特徴である。如何にも土地を占領しては街を造って、北進を続けたように点々とつながって存在している。これらの町がいつ出来たかを調べればはっきりするが、多分、北へ行くほど新しいのではないかと推測している。現に、盛岡市北部の安倍館町にはアイヌを討った豪族、安倍比羅夫(あべのひらふ)あるいは安倍頼時(あべのよりとき)のどちらかの屋敷址が残っている。

 調べれば調べるほど、東北には驚くほど多数の「館」の付いた名前の町がある。きっと何か由来があるだろうと思う。もし、ご存知の方がおられたら、是非、メールを戴きたい。全国を旅するうちに、何となく気になっている東北の地名である。


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