以久遠氏の Beauty,Business & Favorites ビジネス講話 VOL-11/1999.7.1号

最近、正確な敬語や丁寧語を喋らない若者が増えて、日本全国、老いも若きも皆友達言葉になってしまった観がある。夜の新宿や赤坂の盛り場で見るともなく見ていると、どちらが接待役かお客さんか分からないような光景をよく見掛ける。遠目にはまるで同僚同士の一杯機嫌としか見えない。通りすがりに何気なく耳にする会話で「ああ、接待か」とやっと分かるくらいである。
こんなことでは、接待とはとても言えない。親しき中にも礼儀あり、である。接待とは、双方の信頼感と理解を増すことを目的に、お客さんに一時を心地好く楽しんで貰うためのものである。たとえ、どんなに親しい間柄であっても、お客さんと接待者という関係は厳然と存在していることを忘れてはならない。接待には、超えてはならない一線というものが必ずある。
そもそも、接待とは、人を「もてなす」ことである。接待は、井伊直弼の著した『茶湯一会集』の中に記されている「一期一会」の文中の「もてなし」の精神に極まる。即ち、もてなしとは、接待の間中、お客さんの幸福を全て引き受けるところにある。「あ」は有り難うという感謝の心、「い」は労りの心、「う」は敬う心、「え」は笑みを絶やさぬ心、「お」は思いやりの心、という「あいうえお」の心を忘れてはならない。
織田信長の弟で、大名でもあり茶人でもある織田有楽斎は、これを「全て人を敬い、和敬するところから発する」と一言で言い表しているが、もてなしとは、もてなす側の細心の心配りと思いやりに尽きる。
では、もてなしの心とは何ぞや?ということになるが、招待したからには、お客さんが「帰る」と言われるまでは、「もう遅いですから帰りましょう」などとは口が裂けても言ってはならない。お客さんに、幸せに浸って貰い満足して貰うのが、「もてなし」の基本であることを忘れていなければ、こんな言葉は決して口から出ない筈である。
接待で一番気を使うのは、いよいよお客さんが帰られるという、別れの時である。飲んだり食ったりしているときは、大抵の人が細心の気配りをしているので、失敗をしでかすことは滅多にない。しかし、接待を終えてお客さんが帰る段になって、往々にして一瞬の気の緩みが接待を台無しにしてしまうことがある。一流の店で飲食をし、帰りにはお土産まで用意していても、最後の見送りが拙いために、折角の多額のお金を死に金にしてしまうのである。接待は、最後の「お見送り」で終了する。
例えば、帰りの駅のホームで、自分の方に先に電車が来た時、「今日はお忙しい中、ありがとうございました。電車が参りましたので、お先に失礼致します」という光景をたまに見掛ける。これでは残念ながら、折角の接待の効果は半減してしまったものと言わざるを得ない。「お見送り」まで細心の心配りをするのが接待の礼儀である。たとえ、その電車が最終電車であったとしてもである。電車が走り去ったあと「さてと、どうやって帰ろうか」と頭をひねる羽目にはなるが、それだけの誠意は必ず相手に伝わり、その効果は後になって必ず返って来る。
もしも、お客さんがグデングデンに酔払われていれば、タクシーか何かで自宅まで送らなければならない。接待の常識であるが、むしろ、お客さんがそんな状態になるまで飲ませた接待の仕方に問題があると言える。接待は、本人は勿論のこと、家族の人にも心地好い印象を与えるものでなければ、本当の接待とは言いがたい。
何のための接待なのか、よく考えて頂きたい。接待とは、本人の心を掴むだけではない。奥様やご子息などは勿論のこと、上司や部下など、その人の周辺の人達の心をも掴むものでなければならない。