以久遠氏 Beauty,Business & Favorites    profile     VOL-11/1999.7.1

囲碁、あれこれ

 以久遠氏は、中学3年生の頃から囲碁を打っている。九州にいる頃の話である。以久遠氏の父は碁好きであった。しょっちゅう、いろんな人が碁打ちに訪れていたので、子供の頃から傍らに座って見物していた。いつの間にか、門前の小僧の手習いの類で碁を覚え、中学生の頃には碁石を握っていた。

 その頃、予備校の行き帰り、家に自転車を預けに来ていた浪人中の2歳年上の従兄がいた。その従兄も碁が好きだったので、従兄が予備校から帰って来ると、庭の隅っこに母屋と離れて建っていた勉強部屋に籠もって、殆ど毎日二人で囲碁を打っていた。以久遠氏も従兄も同じような腕前であった。

 その所為か、従兄は目指す大学には合格せず田舎の国立大学に進んだ。従兄会で顔を合わせる度に、今でも何か申し訳ないことをしたような罪の意識を覚える。彼が田舎に去ってからは、相手がいなくなって碁を打つ機会も減った。以久遠氏も従兄と同じように受験に失敗した後、やっとのことで東京のK大学に入ったが、これも高校生の頃に囲碁に熱中し過ぎた所為かも知れないと密かに思うことがある。

 大学に入って県人会の学生寮に入ったが、殆どの新入生は一所懸命、マージャンの勉強で、上級生は専ら囲碁の勉強であった。以久遠氏は、マージャンは既に高校の頃に覚えていたので、一年生ながら生意気に上級生に三子か四子置かせて囲碁を教えていた。恐らく、その頃の腕前は三級くらいだっただろうと思う。もう40年のキャリアということになるが、腕前はN社の囲碁部時代の26、7歳頃が頂点だった。多分、二段〜三段くらいはあっただろう。

 学生寮であるから100人くらいの寮生がおり、その中には囲碁部に在籍している者も数人はいた。なのに、何故、私のような者が教える羽目になるかと言えば、彼らは腕が違い過ぎて教えようとはせず、私たちのような有段一歩手前の者に教えるように命令するからである。そのために、学生寮にいた頃は上位者には滅多に打って貰えなく、殆どが同位者か下位者であった。これでは、大して上達はしない。

 大学を卒業してN社に入社して、囲碁部に入部してから、上達したように思う。その囲碁部には週一回、日本棋院からプロ三段の吉田という先生が指導に来られていた。私は最初九子局で始まったが、直ぐ八子局となり、七子局となった。七子で打てれば大体初段くらいの力ということであった。

 囲碁の好きな先輩と出張に行ったときなど、碁盤のある旅館を探して泊まったことも数多い。今のようにビジネスホテル流行りの時代ではなく、まだ和風旅館なども多かった時代だったので、床の間に碁盤を置いてあるところが結構あった。食事をして、風呂を浴びて、浴衣に着替えてから碁盤を挟むことになるのであるが、大抵、「一局1000円の賭け碁」である。一晩に二局くらいしか打てないが、いつも勝たせて貰った。出張日当が一日800円くらいの時代であったので、結構、優雅な出張となった。

 後から思い返してみると、賭け碁では一回も負けていないように思う。その所為か、最初は一局1000円だったのが、いつの頃からか、一局500円に値下げさせられた。偶に同窓会などで当時の先輩たちと会うと、当時の日々が懐かしく思い出され、楽しい話題に花が咲く。勝負事は賭けなければ強くならない、というジンクスがあるので、現在もそこそこの腕前が維持出来ているのは案外その頃の賭け碁のお陰かも知れない。

NEXT「以久遠氏と…」戻る
Enter From 検索  Update & Back-number index   HOME  Tour  Gourmet  Culture  Business01  Business02  Business03  PROFILE