以久遠氏の Beauty,Business & Favorites 旅紀行 VOL-11/1999.7.1号
水戸、徳川美術館と西山荘「水戸ッポ」で有名な水戸市は、太平洋に面した茨城県東部の県庁所在地の町である。と言うより、助さん格さんを引き連れて諸国を漫遊した水戸黄門さまの藩であると言った方が分かり安いだろう。若い人にはむしろ、海水浴場で有名な大洗海岸の隣町と言った方が、あるいはオジサマにはゴルフ場の県と言った方が分かり安いかもしれない。茨城県と栃木県は、都心から高速道路で一時間強で行けるという地の利のため関東で一番ゴルフ場の多い県であるが、水戸市の周辺にも目的のゴルフ場を探すのに一苦労するほど似たような名前のゴルフ場が溢れている。
しかし、やはり水戸は黄門様の町である。水戸黄門さま、即ち徳川光圀公は義公として領民に慕われ尊敬されている名君である。徳川光圀公は全国を廻って「大日本史」を著したと思っている人もいるようだが、実際は水戸と江戸を行き来しただけで、諸国漫遊なぞは全くしなかったらしい。当り前である。徳川御三家の主がそう簡単にふらふら出歩くことが許される訳はないし、またそんな閑も無いだろう。従って、助さんも格さんも架空の人物ということになるが、西山荘公園には何故か助さんと格さんの碑も建っている。
都心文京区小石川の後楽園には、巨人のホームグラウンドとして有名な後楽園ドーム球場が建っており、その隣には小石川後楽園という有名な庭園公園がある。水戸藩江戸上屋敷跡の広大な庭園である。大都会の真中にありながら山深い佇まいで、水戸の西山荘とよく似た興趣が溢れている。
また、水戸藩は徳川15代将軍慶喜の実父、9代藩主の烈公斉昭(なりあき)公が生まれた藩でもある。蛇足だが、慶喜は水戸藩に生まれて紀州徳川家に養子に入り、水戸藩には紀州徳川家から逆に養子が入っている。そんなややこしい事をせずとも、と思うのは下々の者の余計な勘繰りかもしれないが、お互いの子供を養子にすることは斉昭公と紀州公との間の約束事であったらしい。
水戸の梅は斉昭公の梅好きで有名になったようであるが、斉昭公に劣らず、光圀公も自らを「梅里(ばいり)」と号したくらいに梅の木と梅の花を好んだ殿様である。従って、水戸には弘道館や偕楽園など梅の名所が至る所にある。
水戸で有名なものと言えば、梅園で有名な偕楽園と益子焼の系統を引く笠間焼と徳川美術館だろう。徳川美術館は、梅園で有名な偕楽園のはずれの奥まった所にある。梅園を抜けて両側が田んぼの、車が一台やっと通れるくらいの小道を低い山に向かって歩いて行くと、こじんまりとしたむしろ質素な感じのする徳川美術館の前庭に出る。芝生が敷きつめられた綺麗な庭である。
美術館には、水戸徳川家の宝物や殿様家族の生活用品等が展示されている。絵、陶器、掛け軸、金銀細工、塗り物等の美術工芸品はもとより、西洋伝来の望遠鏡もあればお姫様が幼少の頃に遊んだ人形や嫁入り道具など、殿様一家の日用品の類まで沢山の品々が展示されている。私が訪れたときは、陶器の類は期待したほど多くはなかったが、掛け軸が沢山展示してあった。掛け軸の好きな人にとっては優に数時間はかかるだろう。駆け足なら、一時間くらいで見終わる。
徳川光圀公が晩年を過ごし、「大日本史」を編纂したところで有名な西山荘(せいざんそう)は、水戸市から北方へ日立市に向かう国道349号線を下った常陸太田市の山中にある。水戸から車で30分位で行ける。晩年、徳川光圀公はこの山荘の名前を採って「西山隠士」と号した。
西山荘は、敷地は広大であるが、建物は今風に言えば3DKか4DKの平屋建てといった趣きで、とても将軍家の住まいとは思えないくらい質素な佇(たたず)まいである。草葺きの質素な隠居家が山間(やまあい)の奥まった鄙(ひな)びた地にひっそりと建っている。日当たりも決して良いとは言えないところであるから、冬季には戸障子からの隙間風が身に凍みたろうと思う。ここの庭も、白梅の木が十数本植えられ、梅園風にしつらえられている。
西山荘に行くには、西山荘観覧入り口脇の駐車場に車を置いて、田圃脇の緩やかな山道を徒歩で20分ほど登って行く。すると、小川と池に囲まれた西山荘の玄関前に出る。玄関脇にも白梅の木が一本立っている。西山荘の周りには小さな掘割があって、警備のためであろう、入り口には跳(は)ね橋が架けられている。山深い一軒家に架かっている跳ね橋と深い掘割には一種異様な緊張感がある。現在は観光用に橋が架けられているので、跳ね橋を渡らずに邸内に入ることが出来るが、その跳ね橋を見ると、やはり「将軍家の隠居家だなぁ」という思いが湧いて来る。質素な枝折り戸を開ければ庭先に通じる庶民の隠居家とはやはり趣が一味違う。