以久遠氏 Beauty,Business & Favorites    食紀行     VOL-12 / 1999.10.01

京都のレストラン    

 京都に一年半ほど住んで、大阪の「食い倒れ」、京都の「着倒れ」と言われる意味がやっと分かったような気がする。京都には、大阪や東京の下町にあるような屋台が非常に少ない。しかも、手頃な価格で気軽に飲食できる店が非常に少ないのである。和食文化のメッカのような町でありながら、庶民的な店が目に付かない。京都人は小食なのかな?それとも、友人仲間で「ちょっと食事でも」というような付き合い方が無いのかも知れない、と思ったりした。東京であれば、「ちょっと、お茶でも如何?」という言葉が挨拶代わりに使われているが、京都にはそういう習慣が無いように思う。

 超のつくような高級料亭はごまんとあるが、それらの大半は「一見さんお断り」の店で「美味そうだな」と思っても、気軽にひょいと入る訳にはいかない。誰か然るべき人の紹介がなければ、店の方で入れてくれないのである。どうして、こんな妙な風習が根付いたのかについては、またの機会に譲り、今回は割愛する。

 京都にレストランが少ないというのは、京都人は着物にはお金をかけても、グルメには余り興味がないのだろうか?いや、そんなことはあるまい。ラーメン屋さんは市内の到る所で目にする。では、食費に高いお金を掛けないのだろうか?そんなこともないだろう。和食でも、和菓子でも、ビックリするような高級店がある。

 京都は実に不思議な街である。一人三、四千円位の予算で、気軽に入れてゆっくり落ち着いて会話が楽しめるような雰囲気の店が本当に少ないのである。京極あたりに少しあるが、全般的に学生や若いサラリーマンが気軽に立ち寄れるような店が非常に少ない。ステーキを食べようと思っても探すのに一苦労する。東京なら、渋谷、青山、赤坂、目黒、日比谷、銀座、六本木、原宿などの老若男女の集まるところには、到るところにイタリアやフランスや中華や世界各国の料理を手頃な価格で食べさせて呉れる中クラスの店が沢山ある。

 しかし、同じように人の集まる三条から四条の河原町の商店街にもこのようなレストランが殆どない。京都の街自体に東京のような世界各国のレストランが極めて少ないのである。偶にあっても、一見さんには気後れするようなかなりな高級店ばかりである。そのせいか、京都の人達は、そういう東京なら中クラスのレストランを高級料理の店と思っているふしがある。京都に住んでいるとき、京都の若い女性をステーキ屋さんに連れていったことがあるが、日頃、そのような店へは殆ど行かないようで彼女の喜びようは大変なものであった。

 タクシーに乗ったときに運転手さんにこの話をしたら、「ああいう店は○○町に住んでいる人達が行かれる所ですよ」という返事がごく自然に返ってきた。「○○町」というのは、東京で言えば田園調布か自由が丘のような高級住宅街である。タクシーの運転手さんの言い方に、現代においてもまだ「○○町に住んでいる人達…」という階層意識が息づいていることを感じた。おそらく、この意識は運転手さんに限らず多くの京都人に滲み付いているのではないかと思った。やはり「着道楽」の町なのだろう。


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