
人を育成するということは、骨の折れる仕事である。我慢と辛抱と温かい眼差しを必要とする。しかも、性善説で向かい合わなければならない。人間は十人十色で、一人ひとりがユニークで豊かな個性を持っている。このユニークな個性と豊かな個性を殺さぬようにしなければならない。正確に言えば、それらの個性がその人の内面に隠されてしまわないようにしなければならない、ということである。言葉で言うのは簡単であるが、個々の個性はまちまちであり、全員を一律に成長させ得るような画一的な教育パターンというものはない。従って、教育実務的には非常に難しい課題である。
教育プログラムが、集合体を対象にして作られるのはやむを得ない面があるが、受講者個々人の指導に当たっては受講者の個性に合わせた教育を行なうよう心掛けなければならない。受講者個人が保有している良い面を更に伸ばして上げるのか、あるいはその人の悪い点を改めさせようとするのか、その人の現在置かれている立場によって、どちらの方針を採るかが決まる。 当然ながら、それによって評価要素と評価基準も変わることになる。この点を履き違えると、却って有害教育となることがあるので細心の注意を要する。
一般的にビジネスの場では、営業マンや開発マンに対しては、優秀な人は更に優秀に育て上げて、その波及効果で劣った人を引き上げようと企図する「エリート育成主義」を採り、ルーティン性の高い事務部門や製造部門の者に対しては底上げ方式を採用する会社が多いようである。
例えば、営業や開発などオリジナリティー性を要求される職種においては、優れた個性と能力を徹底的に伸ばす「天才教育」、即ちエリート育成主義を採らなければならない。劣った者を天才のレベルまで引き上げることは不可能なことであるから、劣った人を一定レベルまで引き上げて、技量の平準化を企図する「底上げ方式」を採用することは、反って組織風土を甘くするだけで害因となることの方が多い。
何故、底上げ方式が多いのだろうか。その理由は、物作りにおいて最も強く要求されることは、品質の平準化である。品質にバラツキが多いことは、商品として見た場合に市場での商品価値が下がるという弊害をもたらす。また、メンテナンスサービスの面から見てもサービスコストの上昇をもたらすという危険性がある。
従って、教育方針は品質の平均を上げることを目的として立てられるのが一般的である。そのために、従業員の技量の平準化という点に力点が置かれることになるためである。いわば、小中学校の義務教育方式の教育理念とよく似ており、落ちこぼれを如何に少なくするかが最重要課題なのである。企業は教育を通じて、商品の製造品質を向上させようとするのである。組織を活性化させるためにはエリート育成方式的な手法を取り入れた方がよいようである。