
見積書が、案外、粗略に扱われている。営業マンも上長も、見積書が相手にどんな情報を提供しているのか余り深く考えていないようである。本来、見積書というのは、販売活動におけるれっきとした法律行為である。先ず、「見積もり」という契約の申し出があって、成約すれば先方から「発注書」が発行され、それを受けて「注文請け書」を交付するという一連の流れで、法律的にも債権債務の権利義務関係が生じるのである。
そういう意味で、見積書は顧客に対する会社の厳粛なる意思表示であり、企業の姿勢を示す毅然としたものである。それ故に、会社の意思を表明する証拠として、会社名の上か右側に必ず四角い社印が押印される。さすがに社印のない見積書というのは目にしないが、それが何故、そんな粗略な扱い方がなされているのだろうか?
恐らく、「そんな粗略な扱いはしていないよ。何を根拠にそんなことが言えるのか」と反論される方も多いだろうと思う。ところが、気持ちの上ではそうであっても、見積書を見ると杜撰(ずさん)に扱われているものが多いのである。それは、見積書に押した印鑑の位置と押印者に現れている。押印者が担当者だけのものがあったり、押印場所が、案外、無頓着に扱われているのである。
見積書発行の実態を見ると、殆どの会社が営業担当者まかせで、中には担当者の印鑑だけで発行され、顧客に渡されているものもある。「こんな高額取引が担当者の一存に任されているのだろうか?」と、一瞬、疑念の沸くような高額なものもある。押印欄は大抵3〜4ヵ所あるが、そんな高額な見積書でも一番右端の担当者欄しか押印されていないのである。実に安易に発行されているのがある。
一般的には、見積書の見積価格は企業がオーソライズした価格である筈である。即ち、見積書には部門の責任者の印があろうとなかろうと、社印が押されている限り、会社の意思を示していることになる。従って、たとえ営業担当者だけの押印であっても会社が発行した見積書であることに変わりはなく、効力に疑念の湧く余地はない。
しかし、実際の場面で担当者印だけしか押印されていない場合、「取り敢えず、私個人の見積もりです」と語っているようなもので「取り敢えずの見積もり」という印象を与えてしまう。つまり、言外に「上司の承認を得ていないようだから、まだ価格交渉が出来るんだな」という印象を相手に与えているのである。担当者印しかない見積書は暗に「値引きが出来ますよ」という情報を提供しているに等しいのである。それと同時に、管理の甘い会社という印象も与える。購入する側としては、高ければ交渉できるし安ければ発注すれば良いので、実に好都合な訳である。
ところが、一番左端の最終権限者の欄に部門長の印が押してあれば、「きちんとした会社だな」という印象を与えるだけでなく、「最終見積もりだな」という印象を与える。お客さんの気持ちを「値引き交渉は難しいだろうな。値引きの点は、まぁ、言うだけは言ってみようか」というように弱気に誘導する。オーソライズされた価格ということが伝わる訳である。
本来、部門の意思の表明という権威付けがなされるべき性格の書類でありながら、現実にはこのように粗略に扱われている。そのために見積書を軽いものにしている。従って、部門長が不在のときに見積書を提出する場合は、決裁者欄(一番左端の欄)に次席者が押印するようにした方がよい。そうすれば、見積もり金額がオーソライズされる。
見積書が粗略に扱われるようになったのは、企業の定型様式が使われていることにも原因があるのかもしれない。見積書は、殆どの会社が営業活動の効率を向上させるためにマニュアル化しているが、マニュアル化は本来の意味を希薄にさせるという欠点がある。営業マン自身が、見積書は社内の受注管理上の様式程度くらいの認識しか持っていないふしが無きにしも非ずである。見積書の本来の意味を再度啓蒙し教育し直す必要があるのかもしれない。