花便りがそろそろ聞こえて来そうな時節になったが、今年2000年の冬は、全国的に雪が多かったようである。雪国への出張は、昨年の12月の秋田を皮切りに、年が明けて2月下旬の函館と札幌、3月初めの福井から富山と三回あったが、現地はその当日から本格的に降り出し、いずれも積雪25cm以上の大雪であった。
2月下旬に北海道に出張したときのことだが、函館は大雪だった。偶々同じ日に日本海側の富山と新潟に出張していた社員に「そちらはどうだ?」と電話を入れてみると、二人とも「大雪で、動けませんよ」という返事が返って来た。皆が皆、大雪に悩まされるなんて、こんなことは滅多に無い。お陰で、昨年暮れからの雪国への出張は大雪に祟られっ放しであった。
これまで、雨が降っていても出張すると現地は不思議に晴れ上がるので「晴れ男」の異名を貰っていたが、そんな訳で、今年の冬は180度一転し「雪男」を通り越して、いきなり「大雪男」になってしまった。
出張の際は、必ず訪問予定の一週間か10日前に社長さんや専務さんとの約束を取っているが、それが出張の前日になると決まって大雪注意報が出る。そして、必ず予報が的中する。「いい加減さ」ではあれほど定評のある気象庁の天気予報が、不思議なくらいにピタリと当たるのである。
それも今年は、現地のお客さんを訪問すると、決まって「昨日までは殆ど積もっていなかったんですが、今朝から降り出してこんなに積もったんですよ。今年最高の降りですよ」と同情されるくらいの大雪に遭遇する。正しく「大雪男」である。
2月下旬の函館札幌出張にいたっては、函館空港に着いたとき既に目を開けておれないほどの雪嵐で、見る見るうちに路面に雪が積んで行くのが分かった。歩道にも25cmくらいの積雪があり、普通の革靴だったので前後左右にツルツル滑って歩行に難儀した。それでも、折角、函館に来たのだから、せめて五稜郭だけでも見物しようと、滑りながら、転びそうになりながら、そろそろと、用心深く歩いて五稜郭へ向かった。
町中から色が消えて、緑の街路樹も赤い看板も全てが白一色の風景である。地図で見ると、五稜郭町の交叉点を右折すると直ぐ眼前に五稜郭の入り口が見える筈だが、激しく舞う雪に白く煙って星型の城壁も五稜郭の風景も全く見えない。風景どころか、何も見えないのである。凍てついた氷の歩道を滑らないように恐る恐る歩いた。入り口はこの辺だろうと見当を付けて目を凝らして見詰めると、雪煙る光景の中に微かにお城らしき雰囲気が感じられた。
五稜郭の入り口辺りから積雪が30cmの深さになった。積雪に足をとられ、靴は雪に埋まりながら、のろのろと石垣の直ぐ傍まで歩いて行って、やっとのことで、それらしき華麗な星型の堀割の一部を見ることが出来た。雪が激しく舞い踊る中を、大手口前の正三角形の鎬馬出(しのぎうまだし)を通って大手口への橋を渡り、五稜郭城に入る。
観光客も殆どいない五稜郭公園は一面真っ白な雪原で、雪面には人の足跡さえもなかった。靴も靴下もビショビショになりながら、何とか雪原の中を苦労して博物館まで歩いた。博物館に着いたら、ビショ濡れの靴を見て可哀想に思ったのだろう、切符売り場のオバサンが、
「大雪の中を大変でしたねぇ、靴も靴下も脱ぎなさいよ。乾かしておきますから、これを履いてゆっくり見学してください」
と事務所の奥からスリッパを出して貸して呉れた。どうせ帰りには積雪の中を歩かなければならないので、またビショビショになる運命であるが・・・。裸足になってスリッパに履き替えると実に心地よく、オバサンの好意が地獄で仏に会ったように嬉しかった。
博物館(正式名称は「市立函館博物館五稜郭分館」)は二階建てでさして大きくはないが、古色の漂う鄙びた木造の建物である。一見したところ、外観や二階への階段の造りなどから見て、大正初期くらいの建造だろうと思った。部屋や廊下に沢山の遺品や民具や資料が展示してあった。五角形の星型のお城は世界各国にあることを学んだ。帰り際、博物館の玄関で事務員と思しきオジサンに、
「函館市には五稜郭に立てこもった武士の子孫の方がおられるのでしょうね?」
と訊ねてみた。すると、オジサンは、
「殆どが内地から来た人達ですから、戦(いくさ:函館戦争1868〜1869)の後、皆内地へ帰られましたよ。函館は寒いですから、内地の
人たちには耐えられなかったのでしょうね」
と、まるで昨日のことを思い出すように無表情な口調で素っ気なく答えられたのが印象的だった。言外に、北海道は北海道人が住むところだ、とでも伝えたかったのかも知れない。短い会話の中にそんな誇りのような気概が感じられた。多分、内地組の人たちにしてみれば、新天地を切り拓いて新しい国を作ろうと目論んで榎本武揚に隋いては来たものの、戦に破れてしまっては函館に残る理由も無いし、またこんなに寒いのでは残る気にもならない、ということだったのだろう。
函館空港から札幌までは36人乗りに8人しか乗客のいないプロペラ機で移動した。道内で最も雪の少ない函館がこんな有り様であるから、千歳はもとより、更に北方に位置する札幌では大牡丹雪が吹雪いて舞っていた。朝35cmの積雪が夕方には55cmという数年振りの記録的な大雪でJRは不通になり、交通機関は大混乱に陥っていた。
帰路、札幌から千歳空港までのJRが不通で、千歳空港まで行バスでく羽目になった。市内の道路は、雪掻きで道路脇にうず高く積まれた雪がまるで土塀のように直立し、高さが1m50cm〜2m近い雪の壁が出来ていた。バスの窓から外を見ても雪壁が見えるばかりで、壁の向こうは何も見えない。見上げても空が見えるだけであった。これには吃驚した。
写真でしか見たことのない雪壁の道路や豪雪の街並など見るもの全てが初めてで、南国九州で生まれ育った私には、のろのろと動く高速バスの車窓から見える雪壁の珍しい光景は飽きることもなく十分楽しめた。そんなこんなで札幌の中心部を出るまでに1時間50分もかかった。高速道路に入ってからは順調で、千歳空港に2時間40分後に着き、無事、羽田へ戻ることが出来た。