標題は、「三国志」で有名な劉備玄徳の軍師諸葛亮孔明(しょかつりょううめい)の「泣いて馬謖(ばしょく)を切る」という名言にもなった、名将馬謖の言葉である。
スペインが力でインカやマヤを征服し、イギリスやオランダがキリスト教を布教することで世界を制覇したように、「弓や大砲や水攻めなどの兵力をもって城を攻め滅ぼすのは良い攻め方ではない。人民の心を捉える戦略に優る戦略はない」と言っているのである。力で滅ぼせば、必ず犠牲者が出る。そうすれば、必ず恨みを買う。恨みはいつかは必ず仕返しをもたらし、時にはそれによって滅びる因にもなるのである。
とかく、人は功なり名を遂げたとき、あるいは権力を握ったと思い込んだとき、物事が自分の思うように行かなくなると力で押さえようとする。独占欲という本能がそうさせるのかも知れないが、権力の地位に座るまでは人の話にもよく耳を傾け、純朴で物分かりの良かった人が、権力を手中にした途端、人の話に耳を貸さなくなる。というより、むしろ自ら耳を遮断して、私利私欲に走り、あるいは公私混同してしまう。
まるで、別人のように一変し権力をかさに押しまくるその余りな変貌に、かっては崇拝していた人達が「あんな人間だったのか」と失望するといったことはよくあることである。しかし、力で押さえたものは、必ず将来どこかで反動が生ずる。
押え込もうとする意識は勝ち負けの論理である。策を弄したり、力で押し切ったりすることは一時的には勝ったという気にさせるかもしれないが、勝負事は必ず大きなしっぺ返しを伴う。その時、以前に負けた相手は、やっとこれで元が取れた、あるいは引き分けた、という気持ちを抱いて得心する。
こういう信頼に基づかない関係は決して長続きしない。要は、物事を勝負として判断してはならないのである。何事も、馬謖の言うように、相手の心を射止めることが大事なのである。「あの人に賭けよう」とか「あの人に随いて行ってみよう」とか「あの人のために…」といった無償の感情は、「惜しみなく愛は奪う」という有島武郎の言葉にもあるように相手を信頼することから生まれる。
信頼と裏切りは表裏の関係にある。信頼には、信頼を行為や行動で示して応えなければならないのである。中には「信頼してくれ、と頼んだ訳ではないのだから、裏切りにはならない筈だ」という人もいるかも知れない。あるいは「勝手に信頼したそっちが悪いんだ」という人もいるかも知れない。
しかし、それでは大将とは言えぬ。信頼とは感情の世界である。感情に理屈の入る余地は無いのである。信頼されたら、それに信頼で応えねばならないのが大将なのである。それによって、万民から信頼され万民の心を虜(とりこ)にすることになる。馬謖(ばしょく)の言う「心戦」である。ビジネスや交渉事においても、あるいは社交交際においても、相手の心理の動きを読むことは大事である。物事がうまく順調に行くかどうかということは、相手の心を捉えたか否かに依るところが大きい。