以久遠氏の Beauty,Business & Favorites      文化紀行     VOL. 20 / 2000.07.01号

 接待とは、その間、「その人の幸福」を引き受けること

 誰かを食事に招待するということは、「その人が自分の家にいる間中『その人の幸福』を引き受ける」ことであるという、この言葉はフランス人の大食通ブリア・サバラン氏の著書「美味礼賛(びみらいさん)」からの引用である。 ほのかに洋酒の香りがする名菓「サバラン」は彼が創り出したものである。隠し味として料理にお酒を加えることは当たり前になっているが、お菓子にラム酒入りシロップをしみ込ませるという発想は素晴らしい。さすがに食を探究した人の言葉だけあって、「人をもてなす」ことの本質を鋭く究めている。

 お客さんを招待するときは、大抵、雰囲気のよい由緒のある所を探す。ゆったりと寛げて料理の美味い店となると、どうしても通俗的ないわゆる高級レストランに落ち着いてしまう。高価な料理を提供するだけなら誰にでも出来る。しかし、まさしく「お客さんの幸福を一時引き受ける」接待となると、そう簡単ではない。

 大蔵省や外務省などの高級官庁や大企業の本社が集中している、丸の内に近い銀座や赤坂や新橋には、仲居さんやウェーターやウェイトレスの教育が行き届いた高級料亭や高級レストランや高級クラブが沢山ある。最近は表通りにパブクラスの大衆向けの店が建ち並んで昔の雰囲気は影に隠れてしまったが、夜になると黒塗りの乗用車やハイヤーが溢れ、社用族や接待族でラッシュアワーのように混雑する。

 中には、どちらがゲストで、どちらがホストか見分けが付かないような団体もある。接待者本人だけが良い機嫌で桃源郷を彷徨(さまよ)っているのもいる。非道いのになると、お客さんに絡んでいる光景さえも見掛けることさえある。こんな人でも最初のうちは接待に努めていたのだろうとは思うが、呑むほどに酔うほどに接待の本質を忘れてしまうのである。接待するということは、ことほどさように難しい。

 標題の言葉を目にした時、十数年前、アメリカ西海岸への出張の折りにロスアンゼルス郊外のディズニーランドを訪れた時のことと、香港で華僑の人に接待された時のことを思い出した。

 ディズニーランドの園内には灰皿がない。園内禁煙かと思えばさにあらず、建物の外ならどこでも自由に煙草を喫ってよいのである。喫いたくなったら、所構わず自由に喫って下さい、というのである。そして、吸い殻は好きなところへ「ポイ捨てOK」なのである。

 ところが不思議なことに、園内には煙草の吸い殻などどこにも落ちていない。 煙草どころか、塵一つさえ落ちてない。見事に清掃が行き届いて清々しく、実に奇麗なのである。どうしてだろう?と思ったら、それもその筈で、吸い殻を捨てると、どこからともなく吸い殻拾いのボーイさんがスーと現われ、一瞬の内に、手際良く手提げ型のダストボックスにひょいと拾い入れてしまうのである。

 一瞬、申し訳ないなという気分になって「サンキュー」と笑顔を送ってしまう。「ポイ捨て」の、何と気分の良いことか!段々慣れてくると、王侯貴族にでもなったかのようなゴージャスな気分になる。この気分は煙草を吸う人でなければ理解できないだろう。

 実はこれが、お客さんに心ゆくまで王侯貴族の気分を味合わせようというディズニー式の「もてなし商法」なのである。ディズニーランドにいる間は、お客さんの全ての我が侭(まま)を受け入れ、王侯貴族待遇をして徹底的にお客さんの心ゆくまでの満足、即ち幸せを「引き受けている」のである。売店のジュースやコーラなど園内の何もかもは決して安くはないのだが、これほどの徹底したサービスを受けると、少しも高いという気がしなくなる。

 人の心に響く心のこもったサービスは最高の付加価値を生むのである。知らず知らずの内に、お金に足が生え、あるいは羽が生え、気持ちよくお金を散財させられてしまう。それでも、もう一度訪れたいという気になる。「心のビジネス」に目を付けたディズニー氏は、やはり只者ではない。サバラン氏の言葉を見事にビジネスに展開して実現し商品化したところはまさ正しく天才の発想である。アメリカ式ソフトビジネスの神髄を垣間見たような気がした。

 香港の話に移ろう。やはり10数年前、香港の取引先の施(しー)という会長さんと息子の社長さんにクイーンズロードの傍だったと思うが「有楽飯店」というところで中華料理をご馳走になったことがある。華僑は世界で最も接待が上手い民族と言われていることは知っていたが、施会長のもてなし振りに接して改めて感心した。施会長がメニューを見て料理を選んだ。彼の選んだ料理は、とても日本では食べられないような超高級料理ばかりであった。

 暫く、施会長が持参したウィスキーを呑んでいると、料理が次から次へと丸テーブルに並んだ。フカヒレのスープは勿論のこと、燕の巣のスープ、牛尾のスープ、小海老の唐揚げに似た黒い蟻ん子の唐揚げ、…などなど。中には殆どゲテモノ料理に近いものもある。しかし、見たことも、勿論食べたこともない料理ばかりである。

 料理が並ぶ度に、施会長は自分のお皿に少し盛って味わってから、箸を握って自ら私たちのお皿に自分の倍ほどの料理を取ってくれる。そして、たどたどしい日本語で「美味しいですよ、どうぞ」と勧めるのである。何の料理か分からないが、「美味しいですよ」と勧められては食べない訳にはいかない。

 食べ方も分からなければ、材料の見当も付かないものもある。勧められるままに食べると、これが得も言えない美味である。「如何ですか?」と施会長に問われ、「美味いですね」と答えると、「もっとどうぞ」と更にお皿に盛って勧められる。そして、次の料理が来るまでの間、おもむろに今食べた食材の説明をしてくれる。

 冗談に「『四足』であれば机でも食べる」と言われるくらい、中国人は何でも食材にしてしまう天才であるから、中には思わず吐き出したくなるような材料もあった。彼が選んで呉れた料理は、歯切れの良くないふにゃふにゃした肉は雄豚の生殖器だった。山蟻の唐揚げと家ゴキブリのような唐揚げもあった。味噌汁のような色をしたスープの中に入っていた奇妙な虫は雪隠(せっちん)虫だった。毛むくじゃらの熊の右手もあった。

 しかし、日本人から見ればグロテスクでゲテモノにしか思えないものも、一匹から一個しか獲れない食材や命懸けで採取する食材などは、中華料理では最高級の珍味料理である。決して美味い材料とは思えないものでも、三日も四日も煮続け、更に手を加えることによってしか本来の美味が出て来ない材料もあるのだろう。中国人は凄い民族である。味を徹底して追求し、お客さんを喜ばそうとしているのである。世界一の接待上手と言われる所以(ゆえん)である。

 施会長は、先ずそれらを一つ一つ自分で味を確認してから、お客さんには倍ほどの量をお皿に盛って勧める。お客さんの方に倍ほどもお皿に盛るという接待であるから、料理の3分の2くらいはお客さんが食べることになる訳である。一時間半ほど経つと、お腹ははちきれそうに満腹になる。

 華僑の人達は「人は満腹すると幸福な気分になる」ということを生活の知恵として身に付けているのだろう。イヤー、食った、食った。何とも、幸せな気分になった。そして、食の間には、紹興酒や老酒やブランデーなどを切れ目なく勧められる。

 接待の仕方についての最も有名なものは井伊直弼(なおすけ)が著した「一期一会(いちごいちえ)」であろう。茶会が終わって、客人の帰られる時の情景が実にこま濃やかに心理描写を交えて書かれているが、底にはやはり「その人の幸福を引き受ける」という思想が流れている。


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