
初夏の6月の末、快晴の札幌市を訪れた。2月の記録的大雪以来の訪問である。梅雨のない札幌の初夏は、木陰には爽やかに乾いた秋風のような微風が吹いていた。しかし、如何に北国とは言っても、6月の陽射しの下は汗ばむほどの暑さではないが、やはり夏であった。暑い。
北国では冬が終わると、春と夏が間を置かずにやって来る。内陸部の富良野では、今、ラベンダーの花が真っ盛りで、美瑛(びえい)の草原を輝くような青紫一色に変えているらしい。北海道ならではの、エキゾチックで壮観な光景を楽しむ観光客で賑わっているそうである。私の乗った羽田-札幌便は避暑と花観光の旅客で満席であった。その殆どがリタイア組のカップルの観光客ばかりで、ビジネスや若い人より目立った。
北海道には過去10回くらいは訪れていると思う。しかし、いずれも忙しい業務出張ばかりで、ゆっくり観光できたことはない。今回は偶々(たまたま)金曜日の夕刻にお客さんを訪問する予定があって札幌に一泊することになった。翌日は帰るだけ、という絶好の機会でもあり、折角だから札幌近郊を観光することにした。
駅の観光案内所で手に入れた観光チラシを見ながら「さて、何処に行こうか?」と思案したが、いざ、観光!と目的地を絞ろうとすると、札幌には思っていたほどには見る所がない。雪祭りで有名な大通り公園、北海道大学のクラーク像やポプラ並木、大通り公園近くの北海道庁旧本庁舎や時計台などが主な観光地である。しかし、全てを見ても一日もあれば楽に見て廻れる。
札幌の市街は碁盤目模様で、京都の街のように整然と区画整理されている。取り敢えず、大通り公園を西の札幌資料館から東の札幌テレビ塔まで歩いた。13区画、幅は70mしかないが、長さは1.7kmにも及ぶ細くて長大な公園である。札幌も花の季節である。公園には沢山の花壇が設(しつら)えられ、紫や赤や青や黄色などの草花が色鮮やかに咲き乱れていた。澄んだ空気の中に咲く草花の色は一際鮮やかに華やかに見える気がする。大勢の人達がまるで夕涼みを楽しむように思い思いの姿で憩っている姿は、如何にも市民のための公園という風情がある。
北海道は江戸時代中期以降になって開発が始まったところで、函館の近くに松前藩が置かれるまでは、貴族階級も武士階級もいなかった。長い間、明確な支配階級が存在していない地域である。従って、内地のような階層社会は発達していない。階層社会が見られるのは、明治以降、鰊(にしん)御殿で有名な魚業流通の街として発達した小樽や江刺くらいである。
70歳ぐらいの老人に聞くと、若い頃は札幌も旭川も殆どが原生林に覆われた未開地であったそうだ。今のように開けたのは、江戸時代に日本各地から多くの下級武士階級が開拓農民として入植して来て、本格的な開拓が始まった明治以降のことだそうである。明治頃までは札幌市郊外にも広大な原生林が方々にあって巨大な蝦夷松が聳えていたらしい。原始林の名残りは北海道開拓記念館や北海道開拓の村のある厚別(あつべつ)の野幌森林公園に少しばかり見ることが出来る。開拓の名残りは、アイヌ語の地名に混じって各地に出身地の地名や藩名が北海道の全域に残っていることに見られる。
成熟した階層社会を象徴するものはお城である。内地では至る所に見られるお城は、江戸末期になって松前半島の突端、松前町にある松前城を除いては函館に造られた五稜郭だけで、北海道にはお城そのものがない。階層社会が成熟しなかったことも、北海道にアイヌ文化以外の文化遺産が少ないひとつの理由だろう。幕府直轄の松前藩は北方の攻略基地として位置付けられていたために、明治政府以降も占領地統治という観念が強く、蝦夷地北海道にはなかなか和人の文明と文化が浸透しなかったのだろうと思う。
私は、北海道大学の正門の真前にある小さなビジネスホテルに泊まっ
た。北海道大学は、雪の研究と原始林の研究では世界的に有名である。「取り敢えず、銅像のクラーク博士にでも面会して来るか・・・」。北海道大学の正門を入ると、一面緑の広大なキャンパスにパラパラと人影が見える。
まるで雑踏の中にいるような東京のマンモス私大で学生生活を送った私の目には、学生が疎らにしかいないキャンパスというのは何処か寂しげだが、鮮やかな新緑と白樺の白い幹がアカデミックで爽やかに映る。白樺林の中の小径(こみち)をのんびりと大学生協の方へ歩いて行く。白人や黒人の留学生達が数名固まって談笑していた。
クラーク博士の銅像は、生協入り口の広い交叉点の傍らに厳(おごそ)かに建っていた。銅像の下の小さな銘板には「Boys,Be ambitious !」という、クラーク博士がアメリカへ去るときに北海道農学校の若者達に残した、あまりにも有名な名言が刻まれていた。「少年よ!大志を抱け!」、クラーク博士の声が聞こえて来るような緊張感を覚えた。
翌日、札幌駅から旭川へ向かうJR線に乗り、四つ目の森林公園駅で下車し、北海道開拓の歴史が展示してある厚別(あつべつ)の「北海道開拓記念館」を訪れた。記念館は、札幌の中心部から東へ10数kmの郊外にある。大都会札幌の中心部からいくらも離れていないところに広大な原始林をそのまま公園にした野幌原始林公園があった。北海道開拓記念館はその公園の入り口部にある。森林公園駅前のタクシーを拾ってワンメーターの距離であった。歩けば40分くらいはかかるだろう。
原始林を切り開いて造られたアスファルト道路を暫く登って行くと、原始林を切り拓いて造られた高さ100mの北海道百年記念塔が聳え立っているのが目に入る。100mというのはとてつもない高さである。百年記念塔の雄姿を左手に見ながら再び登って行くと、緑の林の中から赤レンガ造りのモダンな北海道開拓記念館が忽然(こつぜん)と現れる。広大な原始林公園の入り口である。
この建物は昭和42年に建てられたそうであるが、モダンな洒落た建物である。正面から見ると、一見、小じんまりした建物に見えるが奥行きの深い建物で、内部は三階建てになっている。バブルの最中に日本中の町や村で雨後の筍(たけのこ)のごとく博物館や美術館建設が流行したが、この記念館には商業主義的な嫌な匂いが全く漂っておらず展示物を見るほどに気持ちが澄んで来る。
記念館の展示物も展示方法も分かりやすく、古代から現在までの北海道が時系列に展示してある。館内にはバリアフリーの設備も整っていて優しさと格調高いムードが漂っている。気持ちの和むなかなか良い博物館である。極めて学術的展示であるにもかかわらず、初心者にも理解できるように丁寧な説明が親切である。そのせいか、賑やかな中学生や小学生の団体が数組訪れていた。
館内の入り口は20畳くらいの広さで、樹齢170年ばかりの直径60cm前後の巨大な蝦夷(えぞ)松や赤蝦夷松の本物の巨木が数本、吹き抜けの天井を突き破るように植えられている。如何にも原始林の一部を切り取ったかのように復元された蝦夷松の巨木が「これが、蝦夷地だ!」と主張しているようで、迫力満点であった。北海道開拓は蝦夷松の原始林の開拓だったことを象徴的に表現しているのだろう。
大型伐採機械も殆ど無かった明治時代に、開拓民がこの巨大な蝦夷松や赤松林を一本一本伐り倒して札幌の街を作ったのかと想像すると、ただただ感心する。蝦夷松は高さが40mにもなる巨木で、木肌が滑らかで白っぽくなかなか姿の美しい樹木である。パルプ材や楽器用材になるそうである。青森県と秋田県の県境の世界遺産、白神山地のブナ林もかくやあらん、と思った。見学経路の矢印に従って館内を見物する。古代のコーナーには北海道で発掘された象の化石が展示してあった。骨格化石を組み立てて復元されたマンモス象やナウマン象は迫真的で圧倒される。
アイヌのコーナーには、アイヌの生活情景が復元されている。葦で葺いた素朴な住居は、なかなか暖かそうである。住居の中には、コタンの老女の、まるで呪文を唱えるような口伝の語りがテープで流れていた。記念にテープを買ったが、内容は外国語を聞くようでさっぱり理解できない。しかし、口誦(こうしょう)の調べは雅楽を聞くように流麗で美しく、心和ませ、沁み入るように厳粛に響く。内容は理解出来なくとも、思わず聞き惚れてしまう。ハワイの原住民が詠う純ハワイアンの調べとそっくりなのに、不思議な感銘を受けた。
ハワイ列島が樺太列島を経由してアリューシャン列島に繋がっていることを考えると、古代に既に北海道とハワイ、あるいは北アメリカとの間に何らかの往来があったのではないだろうか。民族学的に見ても、アメリカインディアンも子供の頃には蒙古班が現れているそうであるから、アイヌとアメリカインディアンはあるいは同一民族かもしれない。
この博物館に来て初めて知ったが、江戸時代に夷(えみし)とか蝦夷(えぞ)と呼ばれたアイヌは争いを好まぬ平和な民族であるらしい。彼らは「コタン」と呼ばれる小さな種族社会を作り、深い原始林の中の川筋に点々と集落をなして鮭を獲り、互いに助け合って平和に生活していたのである。縄文人は平和を好む民族であったらしいから、アイヌは縄文人であったのかも知れない。
アイヌと言えば、「カムイ(神様のこと)」を祀(まつ)る「イヨマンテ」と呼ばれる盛大で荘厳な熊祭りが有名である。お土産屋さんに一位の樹で彫った熊の一刀彫りやミミズクの彫り物があったので、一位の樹で彫ったミミズクを記念に買って来た。アイヌ民族とアイヌ文化に興味が増した。ゆっくり時間をかけてじっくりと見たくなる開拓記念館である。
喉が渇いたのでコーヒーが飲みたくなった。まるで学生そのままのような真面目そうな学芸員の女性に、「喫茶室はありませんか?」と尋ねると、「二階に御座いますよ」と丁寧な答えが返って来た。階段を上ると、入り口に「喫茶室」という案内板の立っている部屋があった。病院の食堂のようにがらんとしただだっ広い喫茶室である。お客さんは老人夫婦一組だけしか居なかった。
ウェイトレスというより「賄いのオバサン」と言った方がピッタリの、割烹着を身に着けたオバサンを見たときは、インスタントコーヒーが出てくるのでは?とちょっと不安が過(よ)ぎったが、「贅沢言えないな」と諦めてオバサンにアメリカンコーヒーを頼んだ。
暫くすると、件(くだん)のオバサンがコーヒーをサイフォンごと提げて現れ、テーブルの上でカップに注いでくれた。そして、サイフォンに残ったコーヒーを「あの棚に置いておきますので、どうぞ、ご自由にお召し上がり下さい」と告げて奥の調理室に消えた。オバサンのさりげない言動が極めて素朴で、心温かく印象的だった。