
もう10数年も前のことですっかり記憶の奥底深くに眠ってしまっていたが、先般、東北出張の折、仙台から国道4号線を北上して盛岡市北部の岩手山の近くへ車で走ったとき、厨川(くりやがわ)の「初音(はつね)鮨」の前を通った。チラッと見えたその店は、昔は小さな建物だったが、新しく模様替えして大きな店になっていたのに驚いた。やっぱり、という思いと同時に、喝采を送りたい気持ちであった。
国道4号線を青森に向かって北上して行くと、東北本線の厨川(くりやがわ)駅前を通る。「初音鮨」という寿司屋さんは、厨川駅の駅舎の直ぐ傍ら、4号線に面したところにある。最初に行ったのは、盛岡に単身赴任している頃だから20年以上も昔になるが、単身赴任したばかりで、右も左も食事するところも分からず、牛タンの店に行ったり、中華屋さんに行ったり、と定まった店もない頃であった。
偶々、同じ敷地の中にある子会社へ出向していた単身の友人が「厨川に旨い鮨屋があるから行こう」と言う。内心「こんな山の中で、何でまた寿司か!」と思いながら、余り期待もせずに行ったのが「初音鮨」である。ところが、案に相違して「あっ!」と驚くばかりの、なかなか美味い寿司屋であった。
店には、どこから見ても愛想が良いとは言えない頑固一徹のようなオヤジさんが、和手拭をキリリと豆絞りの鉢巻姿で黙々と寿司を握っていた。友人とカウンターに座ってにぎりを摘みながら歓談に耽っていた。ふと、何気なく隣の客を見ると、恰幅のいい商店主のような初老のオジサンが大トロのようなものを実に旨そうに食べているのが目に付いた。マグロのようだが、マグロのようでもない。オレンジ色した霜降りの肉のように見えたので、友人に「あれは何だろう?美味そうだな」と尋ねると、彼も分からないようで「大トロとちがうかなぁ?」と言う。
我々も食べて見ることにした。早速、オヤジさんに、隣のお客さんが食べているものをそっと指差して「あれを握ってくれ」と頼んだ。ところが、オヤジさんが言うには「あんた達が食うものではない」とにべもなく拒絶して、握って呉れそうにもない。その返答にムッ!として「どうしてだ?」と詰め寄ると、我々に握ると「常連さんの分が不足して常連さんに迷惑をかけることになる」というのである。
暗に「若造に払えるような値段ではないぞ」というニュアンスが言葉の端々に漂って伝わって来る。上得意の常連さんを大事にする気持ちは分かるが、我々としても、そこまで言われては客としてのプライドが許さない。こうなりゃ、意地だ。粘りに粘るが、オヤジはなかなか「ウン」と言わない。頑固なオヤジである。値段も高そうであるが、「いくらか?」と聞いて頼むのも癪である。
とうとう、最後には「せめて一人前でも何とかしてくれ」とお願いベースになってしまった。粘りに粘ってやっとのことで、二人で2個、即ち一人前で話がついた。さぞや、吃驚するような値段だろうな。もちろん、腹は決まっている。口数の少ない東北人らしいオヤジサンの発音では「カバ肉」と聞こえたが、後で調べてみると「カマ肉」が正しいようである。
カウンターに「カマ肉」の鮨が2個並んだ途端、それまでとは打って変わった柔和な表情でオヤジさんの「カマ肉」自慢が始まった。オヤジさんが言うには「マグロのカマ肉」と言って、珍品らしい。「カマトロ」とも言うらしいが、両側のヒレの付け根部2箇所からしか取れないらしい。ヒレの付け根の筋肉を「カマ肉」と呼ぶのだそうだ。しかも、500kgくらいの本マグロ一匹から20kgくらいしか採れないという逸品なのである。
やっと出て来た「カマ肉」の握りは、オヤジさんが拘るだけあって、脂が乗っていて口に入れた途端、とろりと溶(とろ)けた。仄かに甘味があって見事な味である。魚というより上質の肉に近い。初音鮨には5kgくらいしか蓄えがなく、上得意の常連さんのためだけに用意しているもので一般客には出さないのだそうである。その特別な常連客ために、わざわざ専用の地下冷凍庫まで造ったのだという。毎日、開店前に、常連さんのためにその地下冷凍庫まで取りに行くのだそうである。
昭和53年頃、友人と二人でいつも6000円くらいを払っていたが、その日は9000円請求された。それからすると、「カマ肉」の鮨は一人前3000円くらいしたことになる。今から20年近く昔に、一口1500円のにぎり、と考えればやはりいい値段である。
お客さんの方が頭を下げて、「何とか食べさせて呉れ」とお願いしなければ食べさせて貰えないという貴重で愉快な経験をした。それ以後、二度と「カマ肉」の鮨を食することはなかったが、オヤジサンもボソボソながら会話をして呉れるようになった。しかし、上得意のお客さんのためには万難を排してでも期待に応えようとする姿勢は見上げたものである。愛想のない頑固一徹のオヤジさんが好きになった。
盛岡は東北の内陸盆地というイメージの方が強かった。山の東彼方にリアス式の三陸海岸があることは知っていたが、何となく海から遠い内陸という先入観があったので、盛岡で魚と言えば中津川に上って来る「鼻曲り鮭」が思い浮かぶだけで、内陸部の盛岡の魚が旨い訳がなかろうと勝手に思い込んでいた。しかし、これはとんでもない思い違いであった。遠いどころか、三陸海岸の宮古や大船渡まで直線で70kmくらいしか離れていない。東京から相模湾まで55kmくらいだから、せいぜい小田原あたりの距離なのである。
従って、盛岡は新鮮な海の幸と山の幸に恵まれた町なのである。盛岡を離れてから、初音鮨には出張の折りなどに偶に顔を出したが、木材の会社から精密機械の会社に転職してからは、木の国岩手との縁も希薄になって長い間訪れる機会もなく、記憶の底に眠ってしまっていた。機会を見つけてもう一度行って見たい。
※2001年12月に盛岡を訪れた折り、夕食を「初音鮨」で食べようと思い店を探したが見つからず、厨川の近くの「うな竹」という鰻屋さんで夕食を摂った。女将さんに訊ねてみたら、「初音鮨」は数年前に廃業されたらしい。昨年、通りがかりにチラッと見えた綺麗な料理屋風の建物は「初音鮨」の跡に建てられたものらしかった。廃業の理由を尋ねてみたが、女将さんは答えにくいような表情で歯切れが悪かった。ともかくも、残念である。