以久遠氏の Beauty,Business & Favorites    VOL. 24 / 2000.11.01号    文化紀行

  値  

 人間の優劣を評価するのに、わが国ほど偏差値にこだわる人の多い国もないのではなかろうか?そもそも、人間の優劣を評価すること自体に問題があるとは思うのだが、現在の社会構造が優劣社会になっているので致し方ない面があるのは否めない。それにしても、知識の量の多寡(たか)によって偏差値を求めて人間のバラツキを出すことに、どのような意味があるのだろうか?しかも、常に成長し続ける人間を一定時点の結果だけで評価することに、一体、どれほどの信頼性があるというのだろうか?あるいは、どれほどの説得力があるというのだろうか?

 大体、偏差値というものは、研究者が物体や薬品などをデータ的に分析する際に用いられる統計学の用語である。工業製品には、必ず良品、不良品が発生する。その不良品の分布範囲を見るのに都合がよい分析法が偏差値である。データや組成などの分析する手法を将来どう変化するか分からない人間の優劣評価に準用するのが本当に妥当性があるのか、疑問に思う。

 見ようによっては、まるで、人間にも必ず不良品があるものだ、という前提に立って人間の評価分析を行なおうとしているようなものである。せめて、定期的にテストを行なって変位量を捉え、そのデータを基にその人の将来能力を予測するのであればまだ納得できるが、如何にも人間の心の機微を理解し得ない技術者の考えそうなことである。物質を評価するのと同じ次元で人間を差別化しようというところに大きな誤りがあると言わざるを得ない。

 そもそも、この偏差値評価などという妙な風潮は代々木あたりの有名進学塾あたりから始まり、あっという間に日本全国に蔓延したものである。それがいつの間にか、今では企業の人事部門にまで忍び込び、残念なことに企業の採用担当者の多くが偏差値病に冒されてしまっている。

 人事部門というのは、無限の可能性を秘めた人間の能力を最大限まで発揮できるように、常に現状の組織運営方法や施策などに不都合な面はないのかに目を向け、もしあれば直ちに改めるなどの具体的な施策を講じることが役目の部署である。にもかかわらず、静止点で人を評価する偏差値という方法にさしたる疑問も抱かないというのは問題である。古人が言うように「何事も、必ず一度は疑ってかかれ」という原点思考を忘れてはならない。

 有名進学塾が入学試験の難易度を偏差値で示すのは、試験日時点での知識の量を計るのであるから、あながち間違いと言えないが、企業の入社試験は将来の能力発揮度と期待可能な成長度を見るものでなければならない。従って、進学塾の偏差値試験手法を企業の入社試験に持ち込むのは妥当性に欠けると言わざるを得ない。

 この程度の人達に人事を任せていたら、遅かれ早かれ企業をおかしくするだろう。単純と言えばそれまでだが、人事業務に携わる人もビジネスマンであるなら、偏差値を導入する前に、もっと問題意識と批判精神を持って偏差値の意味するものを判断して採用しなければならない。

 蛇足であるが、進学塾の実態を裏から見ると実に非道い。実態は、公開模試等において偏差値の高い子供を見つけては、「うちの塾へどうぞ」と毎日毎夜自宅へ電話攻勢をかけてスカウト合戦を繰り広げ、強引に入塾させる。中には、「一カ月分は授業料を頂きませんから、遊びに寄越して下さい」と授業料を免除するところさえある。

 もともと偏差値や知能指数の高い優秀な子供たちであるから、強いて塾に行かずとも、自力で一流大学に浮かるだけの力を持っているのである。それを、あたかも塾の教え方がよかったから偏差値が上がって浮かったかのような宣伝をしている。塾も商売であるから、やむを得ず「合格お助けマン」的法衣をまとわざるを得ないのは理解できるが、その分は差し引いて考えたほうがよいだろう。

 進学塾を産業用語風に言えば偏差値産業ということになるが、高収益企業がひしめき合っている現状を見ても、法衣の下に鎧兜で身を固めた営利集団であることを知らねばならない。


Enter From 検索  UpDate & Back Number Index  Home  Tour  Gourmet  Culture  Business01  Business02  Business03  Profile