
群馬県には温泉が多い。大小様々な有名無名の温泉が県内の到る所にある。中でも、赤城山と榛名(はるな)山の間にある伊香保(いかほ)温泉、谷川岳の麓にある水上(みなかみ)温泉や「草津よいとこ〜 一度はおいで〜」と草津音頭に歌われている草津の湯などは全国的に有名であるが、それらの有名温泉の合間合間には、湯治場のような鄙びた温泉街が山間(やまあい)を流れる川に沿ってまるで珠数繋(じゅずつな)ぎに連なって存在している。
しかも、温泉の近隣には必ずゴルフ場がある。ゴルフ人口が3千万とか4千万とか言われている時代だから当然かもしれないが、群馬県に限らず日本中、ゴルフ場と温泉は表裏の関係にあるようだ。旦那はゴルフ、奥方は温泉、あるいは昼間はゴルフ、夜の部は湯上りのカラオケ宴会で一盃のビジネス客、という図式が思い浮かぶ。
新潟県境に程近い渋川の更に山奥、沼田の町外れの利根村というところに、通称、沼田街道と呼ばれている国道120号線が走っている。その国道沿いの皇海山の麓に老神(おいがみ)温泉という鄙(ひな)びた温泉郷がある。新潟県境の谷川岳と栃木県の日光白根山と群馬県の赤城山を結んだ三角形の中心部にあたる。薗原湖に流れ込む塗川を挟んだ山間の温泉郷である。狭いが清冽な流れの塗川の両岸に数軒の瀟洒なホテルが建っている。
老神温泉郷を訪れるには、渋川から353号線、122号線を経て中禅寺湖に入り、一休みして120号線から老神、沼田を通って渋川に戻る赤城・日光白根山一周コースも、紅葉の季節には興趣深いかも知れない。海抜800mくらいの高地の街である。この老神温泉郷で、今年の5月下旬に大学のクラス会が開かれ、我々も例に洩れず、一日目は宴会、二日目は観光組とゴルフ組に分かれた。
梅雨間近の東京の5月下旬はもう夏真っ盛りで、日々、気温は上昇の一途を辿り、夜になっても湿度も温度も下がらず寝苦しい。しかし、海抜800mくらいの高地にある老神温泉は、夜になると見る見る温度が下がり部屋の窓を開けておれないくらい涼しい。というより、むしろ寒い。東京から車で2時間ばかりで来れる近隣地とは思えない知る人ぞ知る絶好の避暑地である。
友人の言によれば、10年くらい前までは木造平屋か二階建ての鄙びた温泉宿ばかりで、老人や病み上がりの療養者達が長期滞在する湯治場だったそうである。ところが、沼田から奥日光・中禅寺湖畔へ通じる国道120号線が開通してから、突然、文明開化したように建築ラッシュが起き、それまでの木造の宿が近代的で瀟洒(しょうしゃ)な鉄筋コンクリートのホテルに一変し、小奇麗な温泉郷となったのだそうだ。
私達が泊まった鉄筋コンクリートの6階建てのホテル「紫翠亭やまぐち」も、数年前までは木造二階建ての鄙びた温泉宿であったそうである。小規模のホテルではあるが、今はゆったりとして如何にも「寛ぎの宿」といった趣が漂っている。旅の雑誌にでも登場しそうな瀟洒なホテルに変身していた。私達の部屋へ挨拶に見えたのは、和服姿の女将さんではなく、鄙びた湯の街に似合わぬ蝶ネクタイにタキシード姿の支配人であった。
この「老神温泉クラス会」の段取りをして呉れたのは、沼田の川場湯原村で「誉国光(ほまれこっこう)」という銘柄の造り酒屋の社長をしている友人である。「誉国光」の広大な敷地の中に建つ「観光酒蔵」に立ち寄って、酒造り用の湧水で点てたコーヒーを戴いたが、実に美味かった。三年後には塗川の清冽水を敷地の中に引き込んで作った山葵(わさび)田から群馬の山葵が出来る筈だと言う。群馬のリンゴに続いて、群馬に長野や静岡に負けない「山葵漬け」という新しい名産が生まれる日も近そうである。
観光バスが10台は優に入る広大な駐車場の「観光酒蔵」で武尊(ほたか)山の伏流水である酒造用の湧水を柄杓(ひしゃく)に汲んで一杯飲む。この水で造られた「誉国光」の得も言えぬ味の原酒「零(れい)」を車に積み込んで老神のホテルに向かった。狭い道路の脇には林檎(りんご)園がひしめくように並んでいる。リンゴは東北か長野ばかりと思っていたら、群馬県も産地なのだそうである。この道路も、冬季にはスキー客で渋滞し動かなくなるらしい。ホテルでは、北海道産の毛蟹が絶品であった。今朝の便で着いたという生きたままの毛蟹である。東京の神田で二代目社長をやっている酒豪の友人は、掘り炬燵の脇に寝転んだまま、お気に入りの原酒を朝まで飲み続けていたらしい。