
島根県出雲市と言えば出雲大社のあるところだが、ここに古代出雲王国があったという説がある。何故、「出雲」という漢字が当てられたのかは分からないが、平成12年、13年の発掘調査で巨大な心柱遺物が発見され、当時の神殿は高さが48mくらいあっただろうと推定され反響を呼んだ。この記事を見たとき、根拠は何も無いが、48mという雲を突くような高さの神殿から「出雲」という名前になったのかも知れないと思った。
古代国家と言えば邪馬台国ばかりが騒がれているが、古代日本には、紀元前1、2世紀頃から紀元4、5世紀頃、邪馬台国のような古代国家があちこちに存在していたようである。有名なものだけでも、津軽半島にあったと言われる津軽(「東日流」とも書く)王国、東北から北海道にかけての蝦夷(えみし、えぞ)民族の日高見国、宇佐神宮のある大分県の国東(くにざき)半島にあったとされる国東王国などである。他にも津軽半島の十三湖に沈んだ古代都市「十三湊(とさみなと)」の伝説というのもある。
ただ、何故か、これらの古代国家の存在は日本書紀や古事記には記載されていない。もしも実際に存在していたのであれば、何故、大和朝廷はそれらの国家の存在を歴史から抹殺しなければならなかったのだろうか?日本の歴史の表舞台に出せない事情とは何なのだろうか?という不可解な謎が湧いて来る。となれば、そこに大和朝廷の何らかの意図が働いているのではないか、と推測するのは自然な思考の流れである。そういう意味で、古代国家の存在を明らかにすることは、古代史解明という面から見ても考古学上の重大な課題とならなければならない筈である。
従って、古代の名残りと思われるような伝説や伝承行事などに遭遇したとき、古代への足掛かりとしてごく微細な手掛かりをも見逃さないように注意深く探す以外にない。出雲大社の神官の家や出雲の旧家に不思議な行事がある。出雲大社の神官を掌る家系に千家(せんけ)という苗字の家があるが、天皇家よりも100年以上も古い家系と言われているくらいだから、恐らく日本最古の家系ということになるだろう。当主は今でも国造(こくそう)と呼ばれているそうである。その千家家や出雲の旧家では、正月に日の丸の国旗を中央にして右側に天皇陛下の写真、左側に現在の当主国造の写真を飾って新年を祝う行事が累々と承継されて現在も行なわれているらしい。
何故、出雲では天皇家と千家家とを同列に並べて正月を祝うのだろうか?世が世であれば「不敬罪」ともなりかねないこのような行事が、何故に1000年近くもの間、天皇家や時の政権から何のお咎(とが)めも無いままに堂々と執り行なわれて来たのだろうか?長い歴史の中には天皇家を唯一神とする時代もあったし、武家と朝廷が覇権を争っていた時代もあると言うのに…。考えてみれば、実に不思議なしきたりである。
一説によれば、紀元5世紀ごろ、大和朝廷が全国統一を成し遂げたとき、出雲王国へ大和朝廷からNO.2の神官を送り込んだという説もある。(蛇足であるが、奇しくも出雲大社に送り込まれた神官の苗字は「平岡」と言うらしい。現在も平岡という神官が各地の神社におられる)。NO.2ということは、大和朝廷は、一応、出雲の天皇家に相当する千家家の面子を立てた訳で、出雲の人たちは東からやって来た新しい天皇と古からの自分たちの天皇という二人の天皇を持っていたことになる。これは正しく古代において出雲王国が存在していたことを意味するのではないかと思う。
また、出雲を「いづも」と読むのも奇妙である。現存する地名を調べても「出」を「いづ」と読ませる地名は意外と少ない。「出」という漢字は、「で」か「いで」と読ませているのが普通である。大和朝廷という統治国が隷属国の過去を断ち切るために、出雲王国を歴史の中から抹消して出雲王国に関わりのあった各地の「出(いづ)」地名も同時に抹消した結果、「出××(いづ…)」という古来の地名が消滅したと仮定することが出来るだろう。
しかし、文字は数百年後に登場したものであるから、古代の地名を文字を頼りに検証するのは誤りであるという考え方も当然あるが、言葉の発音というものは意外と正確に承継されている。梅雨時に現れる軟体動物の「なめくじ」は正確には「なめくぢ」だそうだが、言語学者の金田一京助氏によると、今もなお「なめくぢ」と正確に発音しているのは九州の筑後地区だけらしい。
このように発音というものは数百年間くらいは十分承継されるものである。従って、後世の人々が個々の発音に基づいて文字を当てはめていったのではないか、ということは十分考えられるであろう。そこで、古代出雲王国の勢力範囲を探るひとつの手掛かりとして、「出」を「いづ」または「いず」と読む地域や町があるのでは?と地図を開いて探索してみると、数件だが見つかった。
宮城県牡鹿半島の根っこ、女川(おながわ)湾と御前湾の間には「出(いづ)島」というところがある。兵庫県の日本海よりの山中、豊岡市の南には「出石(いづし)」という町があり、出石神社がある。島根県中央部の山中、八神盆地の東端には出羽川が流れており、「出羽(いづわ)」町がある。愛媛県の佐多岬半島の付け根に「出石(いづし)山」がある。出石山の北、海岸には「出海(いづみ?)」という寒村がある。近くの壺神山の近くに「出店(いづだな?)」という村がある。島原半島の島原市には「出川町」があるが、読み方は分からない。鹿児島県と熊本県の県境に近い鹿児島県側に「出水(いづみ)」市がある。そして、背後の山並を「出水山地」と呼んでいる。
「出雲」をそのまま使っている地名も若干だが各地に見られる。山口県の防府市の北方、山中の中国自動車道の佐波川上流の徳地町の近くに「出雲神社」がある。福岡県八女郡と大分県との県境近くの鯛生(たいおう)金山の東には「出雲岳」という800mくらいの山がある。新潟県の柏崎市と新潟市の中間に「出雲崎市」がある。海辺にも山中にも残存しているが、出雲王国と何らかの関わりがあったのだろうか?
伊豆半島の「伊豆」や「泉」や「和泉」など、「いず」という言葉のつく地名は全国各地にあるが、出雲は「いづIDU」であるので、「いずIZU」の地名は出雲とは無関係だろうと考えている。
また、出雲神社に行くと、神殿の脇に「二礼四拍手一礼」で参拝するようにと立て看板が立っている。明治四年の神社制度の改正によって拍手が「二拍手」に全国的に統一されたため、出雲神社と同じく「四拍手」の神社が不明になってしまった。昭和21年に「古例に復す」ことが認められ、現在、「二礼四拍手一礼」の神社は新潟の弥彦神社と佐賀の祐徳稲荷と出雲神社の三つだけらしい。以前、何かで大分の宇佐神宮も「二礼四拍手一礼」であると聞いた記憶があるが定かではない。
更に、出雲大社の紋は「亀甲(きっこう)紋」である。私が邪馬台国の女王国と目している八女市岡山には「亀甲」という地名が残っているし、狗奴国(または奴国)と目されている熊本県玉名市にも「亀甲」という地名が残っている。この亀甲という地名と出雲大社の紋との間に何かの謂われがないものかと考えている。