盛岡と言えば、真っ先に思い浮かぶのは「わんこ蕎麦」と北上川の上に聳える岩手山である。南部風鈴の清涼な音色もファンが多いが、「わんこ蕎麦」は盛岡を代表する食の代表だろう。「わんこ蕎麦」を漢字で書くと「椀子蕎麦」となるそうであるから、「お椀に入っている蕎麦」という程度の意味だろうか。岩手の言葉には「チャグチャグ馬ッ子」のように名詞の後ろに「子」を付ける言い方があるので、「椀子」も同じような意味合いだろう。
「わんこ蕎麦」は元々岩手県の郷土料理で、寄合いなどの時、給仕の女性が椀に盛った蕎麦をお客さんの椀に次々に投げ入れ、お客さんが満腹して「もう駄目だ、食えないよ」とお椀を手の平で覆うまで食べさせるという「もてなし」用の食事だそうである。
「わんこ蕎麦」を知らない人のために簡単に紹介すると、一口分だけをくるくると巻いたざる蕎麦かへぎ蕎麦を想像して貰えばよい。一口分の蕎麦をお椀に入れ、お椀を整然と並べた料理用の木箱を抱えたオバサンの傍らに、日本手拭いを姉さん被りにして絣(かすり)の着物に緋のたすきをキリリと襷(たすき)掛けに締めた威勢のいいオネェサンが、先程のわんこ蕎麦の入ったお椀を両手に持って控えている。お客さんと「いざ、勝負!」といった装束である。従って、お客さんは専ら蕎麦の食べ役となる。
一人のオネェサンが3〜4人のお客さんの給仕を担当する。そして、お客さんが蕎麦を口に入れてお椀が空っぽになると見るや、オネェサンは木箱のお椀を掴んで目にも止まらぬ速さでお客さんのお椀の中へわんこ蕎麦をパサッと投げ入れる。空気を切る音がしそうなくらいの早業で、殆ど名人芸の実に見事な手捌きである。従って、お客さんは殆ど休むひまもなく食べ続けることになる。
直利庵(ちょくりあん)のわんこ蕎麦は、蕎麦の付け汁として「大根おろし」と「たらの切り身」と「明太子」の三種類が出て来る。私は「たら」と「明太子」に少し大根おろしを混ぜて頂いた。それに唐辛子を適宜加えて自分の好みに合わせて味を作るが、なかなか美味である。30〜40杯くらいはアッという間で、見る見るうちに食卓の上には空になったお椀の山が出来る。
ところが、満腹したから「ご馳走様」と箸を置けば終わりかと思ったら、そうは問屋が卸さない。終わりにするには、「終わるためのルール」があるのである。そのルールとは、空になったお椀にオネェサンが蕎麦を投げ入れるより速く、お椀に蓋(ふた)を閉じなければならないというものである。お椀に蕎麦が入っているうちは投げ込んで来ないので、蕎麦を口に入れると同時に瞬時にお椀に蓋をする訳である。
この蓋をするのがなかなか技(こつ)が要る。必死に蓋を閉じようとするが、オネェサンは神技的な素早さで蓋の間からサッとわんこ蕎麦を投げ込んで来る。その投げ込まれた蕎麦は必ず食べなければならない。蕎麦を残してはならないのである。蓋をする方が速くて、オネェサンの投げた蕎麦が畳の上に落ちたところで、やっと食事が終了するという訳である。まるで果し合いのような真剣勝負である。こうして、大抵の人が10杯ぐらいは余計に食べさせられることになる。オネェサンとのまるで果し合いのようなゲームを楽しむ愉快な食事である。
わんこ蕎麦の蕎麦が特別に美味しいという訳ではない。味よりもそのゲームのような、あるいは果し合いのような食べ方が面白くて評判になり、観光化したのだろうと思う。「食べ方」が観光資源になるのも珍しいが、とにかく面白く愉快な蕎麦である。とても味を味わうような余裕はない。昼時になると、直利庵ばかりでなく市内のあちこちのわんこそば屋さんには大勢の団体さんが貸切バスでやって来る。
随分ご無沙汰しているが、わんこ蕎麦の「直利庵」は盛岡市役所の裏、中の橋通り一丁目にある。石川啄木が「不来方(こずかた)のお城の草に臥(ね)転びて 空に吸われし十五の心」と詠った不来方(こずかた)城の並びにある。日頃は、観光客で大賑わいしている。15年ほど昔、私は52杯で何とかギブアップしたが、一緒に行った新入社員は92杯も食べた。勿論、食べ放題であるが、値段もいい値段で、昔は2500円だった。今はいくらしているのだろうか?盛岡市内には沢山のわんこ蕎麦屋があるが、どうせ食べるなら、この「直利庵」をお薦めする。
年に一回、わんこ蕎麦の大食いコンペがあるそうで、優勝は毎年200杯を軽く超えるそうである。一口蕎麦ではあるが、それでも200杯以上というのは驚きである。女性でも100杯以上の猛者(つわもの)がいるらしい。世の中には想像を超える大飯喰らいがいるものである。