ビジネスは、全て「聴く」ことから始まる。「聞く」ことではないことを認識して頂きたい。「聞」とは「聞こえて来る」という意味の文字である。従って、「何となく聞く」ことを意味する。それに対して「聴」とはどういうことであるか、ということについて述べたい。
「聴」という字の原形は「聽」と書く。この「聽」という漢字をよく見ると、「耳」と「十の目」と「心」あるいは「一心」という文字の組み合わせで出来ている。こう書けば、私が言わんとするところは大体察しが付くと思うが、聞くという行為は単に耳だけで聞いていればよいというものではないということを示している。漢字とは巧く出来ていて、漢字を構成する文字を見ただけで何となく意味や動作や態度までが分かる。このような素晴らしい表現文化は日本にしかないだろう。
即ち、「聴」という字の作りが示しているように、心と目で聞くことが「聴」という行為なのであるが、もっと丁寧に言えば、「単に聞くだけではなく、大きく目を見開いて相手の表情や心の動きなどをつぶさに見つながら一心に聞く」ことである。「一心に」ということは虚心坦懐(きょしんたんかい)に聞くということで、裏を読んだり勘繰ったりして聞いてはいけないということである。即ち、「邪心や予見を入れずに、相手の言い分をそのまま心を広くして聴く」ことが本当の「聴く」という姿勢なのである。
「目は口ほどにものを言う」という諺もあるように、言葉だけでなく、目も何かを訴えていることを知らなければならない。何か拙いことが起こったときなど、相手の目を見ていると真意がよく分かる。「組織や上司が言わせているな」とか、「個人的にはそうは思っていないんだな」といったことが相手の目から素直に伝わって来る。こういうことから、お願いやお詫びなどの時は、相手と直接会って話すことが重要になる訳である。
社内の会議も、お客さんとの話も、全て勘違いや早とちりしないようにきちんと正確に聴くよう心掛けなければならない。相手の言わんとすることが正確に理解できれば、相手も自分の思いが「ストレートに伝わったな」という安心感を抱き、その後は焦点を絞り込んだ会話や提案が出来るようになる。焦点が絞れるということは、更に深く究めた内容の会話に発展するということである。反対に、焦点がはっきりしないピンぼけの会話や提案は、相手の心に自分の頼りなさを植え付けるだけで、人間的魅力をも理解させることが出来なくなる。
相手の話を一心に聞いているように見えても、実際は「次は何を、どう話そうか」と頭の中は思い廻(めぐ)っていることの方が多いもので、なかなか虚心坦懐にというまでには至らないものである。注意しなければならないことは、込み入った話ほど自分に都合のいいように聴いているだけで、相手の話を「一心に聴く」状態にはなっていないことの方が多いことである。
ビジネスマンにとって、喋ることよりも聴くことの方がはるかに難しく、大事なのである。喋り過ぎの営業マンというのは概してトップセールスマンにはなれない。いわゆる商談も「お喋り」商談であってはならないということになる。相手の話の腰を折って勝手に喋り出すことなど論外である。