以久遠氏の Beauty,Business & Favorites 文化人間学 VOL-2 / 1999.01.01号

東京人には二種類のタイプがある。ひとつのタイプは、気っぷの良さと情にもろい下町っ子に代表される、いわゆる江戸っ子である。もうひとつは、他人の領域には決して足を踏み入れようとしない一寸ばかり気取って見える山の手タイプである。見ていると、地方出身者は大抵どちらかのタイプに見事に変身する。変身できない人は、出身地で固まって東京の田舎人と化すか、Uターンするかのどちらかである。
九州人や東北人は東京へ出て来ても、殆どの人が東京の生活にスムーズに馴染んで東京弁が話せるようになる。言葉だけでなく、性格も、考え方も東京に同化して東京人化する。なのに、何故か、関西人は概して東京弁を喋るのが下手である。関西訛りが抜け切れず、関西訛り混じりの東京弁になってしまうのである。関西人の中でも、特に、大阪や京都出身者の人達はいつまでも関西訛りから抜け切らないようである。
「…しまっか」「あきまへんなぁ」「こっちへ来(き)いな」「そうでっしゃろ?」「あほか!」「あかんわ!」「…しまっさかい」「ほんまかいな?」といった関西固有の言葉や独特な訛りがどうしても思わず口に出るようである。関西人には、何故、東京弁が身に付かないのだろうか?何故に東京と同化しないのだろうか?何故、関西人は東京弁や標準語が下手なのだろうか?
つらつら考えてみると、標準語には関西の言葉やアクセントそのものが全くと言ってよいほど入っていないのである。標準語は東京弁を母語として出来ており、歴史的に見ても、東京弁には東北や九州の言葉は入っているが、関西特有の言葉やアクセントは東京弁や標準語の中には全く取り込まれていない。
この点は歴史を遡って考えてみると明らかになる。江戸あるいは東京という街は、江戸時代から明治維新にかけて、九州や長州、東北の諸藩雄藩などが主役となって作り上げた街である。江戸時代には、地方の雄藩は23 区のあちこちに中屋敷とか下屋敷と称する広大な藩屋敷を有していた。東北の伊達藩、佐竹藩、南部藩、九州の島津藩、鍋島藩、黒田藩、細川藩、中国の長州藩、安芸藩・・…等々。
そこには、商人や職人などの町人階級が国元から大勢出て来ていたし往き来もあった。越後屋、河内屋、尾張屋、備前屋、筑前屋、駿河屋、長州屋、相模屋、伊勢屋、浜松屋、遠州屋・・・等々、今も当時の名残りが商店の屋号として残っていることを見ても分かる。しかし、関西の藩名を冠した屋号の店は但馬屋という名前があるくらいで殆ど見かけない。
その理由は、大阪や京都は幕府の天領であったため代官がいるだけで、藩が存在せず、大名がいなかったというところにもある。従って、江戸に藩屋敷に相当するようなものがなかったがために、他の地方に比べると、関西の町人階級が江戸に住む理由と機会が少なかったのではないかと考えられる。
江戸は、400年ほど前、徳川家康が居城を江戸に定めたところから発展して来た街で、もともと、江戸の原住民などというのはそんなに多く住んでいた訳ではない。恐らく数万人くらいなもので、江戸城が出来て参勤交替が始まってから50万人くらいに急激に増えた。従って、江戸というのは外から流入した人達によって出来上がった街なのである。即ち、東海や九州や東北の文化の融合体だったのである。
高度メディア社会である現在でも、九州弁と東北弁には天地の隔たりがあり、意思の疎通は至難のことである。文化の交流が少なかった当時は、尚更のこと、そう簡単に意思の疎通など出来た筈がない。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたくらいであるから、当初は意思の疎通が旨くいかず、言葉に端を発した喧嘩も多かっただろう。しかも、江戸は町人の数よりも武士の方が多かったという非生産大消費地であったのであるから、藩外交などの社交が盛んであった筈である。
その中で、自然と雄藩の武家言葉が融合し、言葉の基礎になって東京弁が形成されたのだろうと思う。標準語の基礎はこのような歴史を経て出来上がったのである。さらに、標準語を制定したのが明治政府であることも大きな要因である。明治政府を作った、時の権力者が、九州や中国、あるいは東北の武士階級であったことも大きな要因になっている。
このように標準語の発生の背景から見ても、東京弁の語源的深層部にこれらの九州や東北の単語や訛やイントネーションなど、言葉の因子が入っているであろうことは容易に推測できる。その因子があるが故に、九州人や東北人は東京や東京弁に馴染みやすいのではないだろうか。彼らは、自分の体の中にその言葉の因子を蓄えているために本能的に東京弁に馴染みやすいのだろうと思うのである。
このような前提に立つと、大阪人が東京弁に馴染みにくい理由が見えて来る。前述したように、関西の言葉や訛りが東京弁や標準語の中に因子として入っていないために、関西人には東京弁が馴染み難いのである。そういう意味では、関西弁は非常にマイナーな言葉であるとも言える。しかし、標準語のかけらにもなっていない言葉が、一大文化圏を築き上げているというのも面白い。
関西人と関東人との間には、価値観においても水と油程の違いがある。価値観が違うために物の見方や考え方が変わり、言動が違って来ることになる。従って、どうしても東京に馴染めない関西人が現れることになる。嫌々ながら東京に住んでいる人達の中には「アンチ東京の会」という「東京と東京人に悪たれをつく会」を結成して、思う存分、東京の悪口を言っているグループもあるらしい。
東京人にはここまでの極端さはなく、さすがに大阪にいる東京人が「アンチ大阪の会」といったものを結成しているようなことは聞いたことがない。この理由も、案外、大阪が豊臣方で、江戸は徳川方という歴史的な背景が底流に流れているためではないだろうかという気がする。蛇足だが、江戸と国元とを行き来していた地方の出身者に比べて、関西人が現代においても東京への転勤や移住を嫌がるのもこんなところに遠因があるのかもしれない。