
大学を卒業したての若い頃にはよく「こんな下らないことを…」と与えられた仕事を軽蔑することがある。私自身、大学を卒業して最初に配属されたところが経理課だったので、最初の1ヶ月間は「1,2,3,4……8,9,0」の数字ばかり、来る日も来る日も、朝から夕方まで練習させられた。数字の綴り方教室である。いわゆる経理マン特有の字体の練習であるが、一行の中間に鉛筆で薄く線を引き、一行の半分の大きさの斜体数字を書く訳である。
それが終わったと思ったら、2ヶ月目からは、先輩が下書きをした鉛筆書きの決算書を、赤ペンで二重線や単線を引いて、黒ペンで数字をなぞって仕上げる仕事と、ソロバンの加減算の練習であった。決算書の清書は、必ず検算をしてから黒ペンで下書きをなぞるのだが、なぞり間違いをすれば全て書き直しになるため、目と神経が疲れた。
決算書を清書する作業がないときはソロバンの練習である。現在のように電卓の無い時代であるから、経理マンとしてはソロバンは必須だった。そのために会社が退けると、大学出の多くの経理マンたちが小学生の通う「ソロバン塾」に通った。私も独身寮の近くにあったソロバン塾を覗いてみたが、小学校の低学年の生徒達で一杯だった。行こうか行くまいか迷ったが、結局は行かないことにした。
何故かと言えば、ギターよりソロバンの方が易しそうだったからである。私は学生時代、ハワイアンバンドでギターを弾いていたが、ギターは五本の指を使わなければならない。巧くなれば、弦を見なくても弾ける。それに比べれば、ソロバンは親指と人差し指の二本の指を使うだけで、それほど難しそうにも見えないので、この程度のことならギターよりも易しそうだし、そのうち人並みくらいには出来るようになるだろうと考えたのである。
会社では、毎日、毎日、延々と「185、185、・・・」と「185」を親指と人差し指で繰り返し繰り返し弾いて足し算をした。30回足した合計は「5550」となる。60回足すと「11100」である。「5550」や「11100」にならなければ、どこかで間違えていることになる。再度、やり直しである。こうして、親指と人差し指の動かし方とスピードの練習をした。仕事の空いた時間を見つけては、「185」の足し算練習を3ヶ月ぐらいはやったように思う。お陰で、数字は経理の中でも上手い方になったし、生まれて初めて握ったようなソロバンも、三ヵ月後には掛け算も割り算も出来るようになり、三級くらいの実力にはなった。
当時の経理課には、経理の補助作業者として商業高校を出た女子事務員が数名いたが、彼女らは殆どが一級の免状を持っていたし、暗算も驚くほど速くて正確であった。勿論、数字も綺麗であった。数ヵ月後には、数字の綺麗さでは彼女らに負けないくらいに上達した。当時の役員さん達から「君の決算書は見易い」と誉められたことを覚えている。私は経理課の後、人事課へ転部になり、盛岡工場へ転勤、本社へ戻って営業へ、営業から新規事業部へと勤続年数を重ねる毎に重要な仕事に移って行ったが、これは経理課時代にどんな些細な仕事も好い加減にせず徹底してこなして来たことが評価されていたのであろうと思う。
福沢諭吉は「仕事に貴賤(きせん)なし」と言い、宮本武蔵は「物事にすき好む事なし」と言っており、武士道の「葉隠」はさらに積極的に「つまらない仕事のときこそ励むべし」と述べている。豊臣秀吉が信長に仕えていた時、懐に入れて温めた草履を差し出したことで信長に認められたように、自分の存在を示すのに「つまらない仕事」というのはないのである。与えられた仕事を与えた人が考えている以上に完璧にこなすことで自分の力を示すことが出来る。即ち、葉隠の言うように「仕事の出来栄えで自分の存在を示せ」という訳である。福沢諭吉が言うように、仕事に「無駄な仕事」はないのである。どんな軽微な仕事にも自分の存在を示せる何かがある。新人諸君はこのことを是非覚えておいて頂きたい。