以久遠氏の Beauty,Business & Favorites      文化紀行      VOL. 38 / 2002.01.15

心神耗弱者と未成年者の犯罪    

 神戸の「酒鬼薔薇」少年事件、佐賀のバスジャック事件、池田小学校事件等々、近年、若年者の犯罪が目に付く。つい先日にはニューヨークで15歳の少年が飛行機でビルに激突するという事件が発生した。これらの事件について、報道されている範囲内で「未成年者の犯罪と罪」について考えてみたい。

 日本の法律には法理念として「疑わしきは罰せず」という基本思想があり、刑法は現行犯以外は証拠主義に則っている。従って、大抵の犯罪者が意識的に証拠隠しに走る。証拠を隠すという行動や行為がまた新たな証拠を生むということもあるが、結果としては「証拠なき者は罰せず」ということになるので、初動捜査が非常に重要である。自白と言えども証拠で裏付けられて初めて有効となる。原則的には状況は証拠とはなり得ないのである。その点、アメリカのような陪審員制度を採用している国の場合、陪審員の感情によって状況が証拠として採用されることもあり得る。これは犯罪を防止する面では都合の良いこともあるが、冤(えん)罪が増える危険性が高いという欠点を有する。

 犯罪が成立するためには、意図と原因と結果が存在しなければならない。そこで、刑法は責任能力の有無あるいは強弱によって受刑責任の度合いを変えている。成年健常者の犯罪については、情状酌量の余地がある場合「執行猶予」という制度を設けている。刑の執行が猶予されている期間、厳しい条件の下で裁判所や警察の観察下に置かれる訳である。この期間内に犯罪を起こせば「執行猶予」が解かれ、「刑が執行」されることになる。未成年者には、健常者でありながら年齢が未成年(20歳未満あるいは15歳未満)であるというだけで、また心神耗弱(しんしんこうじゃく)者に対しては、「判断能力が欠けている」という理由から受刑の義務が免除されるという特権が与えられている。

 犯罪は誰が起こしたのか?病気が起こしたのか?年端が行かないために起きたのか?これらの点を明確にしないと、妙なことになりはしないか?私は「罪は罪である」という大原則は崩すべきではないという考えを持っている。また、法は全ての国民に平等に適用されなければならない、これも大原則である。しかし、こと未成年者の取り扱いについては、現在の法律は「罪は罪である」という大原則を全うしていないように思う。

 成年者の場合、犯罪を犯した人間は裁判を受けて囚人として懲役刑に服する。囚人生活の態度や悔悟の念が優良と判断されると刑期が短縮されて出獄することになる。しかし、心神耗弱者や未成年者の犯罪には、「善悪の判断が付かない」と専門の医師が判断した場合、犯罪の「意図が存在しない」という解釈から刑法は「罰せず」という考え方に立っている。

 一体、判断能力とは何なのだろうか?判断能力とは、意思決定能力ではないのか?自分自身の行動についての意思決定が出来ているのに、「善悪だけが判断できない」ということがあるのだろうか?確かに、十四歳くらいまでは社会生活の経験も少なく判断能力も劣るとは思うが、だとすれば彼らの精神年齢は十四歳程度でなければならないことになる。

 心神耗弱者や未成年者の犯罪には、「精神病院」と「少年院」への治療入院あるいは再教育があるに過ぎない。治療や再教育を終えて、退院すれば誰からの観察も無く、全くの野放しとなる。治療や再教育というのは行政的な方法論の問題で、刑事法という法律論と同じ土俵で論じることは出来ないのではないか、と思う。ここに、池田小学校事件や佐賀のバスジャック事件の因があるように思える。

 「入院」を「懲役」に相当するようなものと解釈することは乱暴であるかもしれないが、心神耗弱者や未成年者に対して成年者の「執行猶予」に相当する制度が欠けているように思う。精神病院や少年院を出た後で、本来の「受刑の義務」が適用されなくてはならないのではないか。即ち、犯した罪は、心神耗弱者であろうと未成年者であろうと何人であれ、何らかの形で償わなければならないのではないか、ということである。

 掻い摘んで言えば、未成年者であれ、心神耗弱者であれ、「犯した罪の刑期に相当する期間を執行猶予と同じ扱いにする」ことによって「厳しい条件の下で裁判所や警察の観察下に置かれる」ことになる訳である。勿論、現在は、未成年者や心神耗弱者には「刑」という概念がないので、法改正をしなくてはならないことになるが…。そこらを曖昧にしているために、犯罪を犯した時点の年齢あるいは精神状態によって「罪にならない」とするところに罪刑法定主義の根幹が揺らいでしまう原因があるように思う。犯罪を「年齢という時間軸において罰する」という現在の制度から、「適格状態になってから責任能力を問う」という制度に変えても良いのではないか。

 この「野放し」状態になることについて、犯罪者の家族が「もう少し入院させて貰いたい」と希望し、「毎日、毎日、『再度何かしでかすのでは』と、心配な日々であった」という悔悟的な発言があることは考慮されるべきである。再犯性の高い「判断能力欠如」という極めて危険な状態にある人を全くの無管理状態に置くことや、「判断能力のある」人よりも緩やかに管理するというのは「野放し」という印象からは免れ得ないであろう。

 このような犯罪が起こると、必ず加害者の人権と被害者の人権が問題になる。当事者の人権が論ぜられることは当然であるが、家族の人権は無視される。一体、民事法で親族とか家族の概念を定めているが、これは何のための法なのか。単なる相続権判定のためだけにあるのか。そうであれば税法の中にでも組み入れればよい。少なくとも三親等くらいまでの人権は保護されるべきであろう。


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