以久遠氏の Beauty,Business & Favorites     旅紀行    VOL-03 /1999.01.15

沖縄、琉球の文化   

 沖縄には昭和60年の2月と8月、2回訪れた。冬の沖縄と夏の沖縄ということになるが、首里城の改装や琉球大学の移転が決まった頃であるから、一昔以上も以前になる。昭和60年に初めて沖縄の那覇市を訪れた時は、日本の文化に比べて沖縄の文化のあまりの違いにカルチャーショックを覚えるくらい驚いた。空港を出て地元の人たちと会話をすると、沖縄と日本の違いを実感する。沖縄は、日本というよりもむしろ台湾か中国と言った方が余程適切である。言葉だけが日本語で、それ以外はまるで台湾か中国そのものである。

 1998年の7月に沖縄を旅行した娘に旅行時の写真を見せて貰ったが、10数年の間に首里城周辺は見違えるように整備され綺麗な観光地になっていた。かって、まるで遺跡のように荒れていた首里城は中国特有の朱色が目映いばかりに輝いており、古ぼけて粗末な造りであった「守禮乃門」も鮮やかに華やかに新装なっていた。昔は一、二軒しかなかった「守禮乃門」の前の観光写真屋さんが何軒も軒を連ねている。琉球大学の跡地には素晴らしい公園が出来、摩文仁(まぶに)ヶ丘戦跡公園も10年前の姿を留めないくらい奇麗に改装されているようである。

 沖縄は、昔、琉球と言った。琉球という名称は古くは「流求」と書いて、既に隋唐の時代から使われていたらしい。江戸時代に島津藩が属国にし、その後徳川幕府が属国にしたが、それまでは独立国で、第二尚氏王朝だけでも15代続いている。琉球国は古い歴史を持っているところで、徳川政権より長いのである。

 日本の属国になってからの尚王家は、幕府の政策によって琉球に住むことを禁じられ、江戸に住むよう命じられた。琉球には一握りの領地だけが残り、琉球を統治することは出来なくなった。明治になって爵位制度が出来ると、尚一族にも侯爵から男爵までの爵位が授与されるが、琉球へ帰ることは許されず引き続き東京住まいであった。その尚家は今も累続して子孫が各界で活躍しており、昭和35年の沖縄返還を機に尚一族の数名が那覇に戻って住んでおられる。那覇にある株式会社桃原農園は尚家の会社で、現在も子孫の方が経営されている。

 沖縄の若者に第15代琉球王尚真のことを訊(たず)ねても、偶に「歴史で習ったように思いますが・・・・」という程度の人がいるくらいで、「さぁ??分かりません」という人が殆どである。江戸時代から現在まで占領が続いているようなものであるから、已むを得ないのかも知れないが、ひょっとしたら琉球の歴史を沖縄の若者にきちんと教えていないのではないかと訝(いぶか)りたくなる。それくらい尚王家は奇麗に忘れ去られてしまっている。

 沖縄の地名は、北海道のアイヌ語に似ている。今帰仁(なきじん)村、北谷(ちゃたん)町、豊見城(とみぐすく)村、渡名喜(となき)村、南風原(はえばる)町、平良(ひらら)市、東風平(こちんだ)町、渡嘉敷(とかしき)村、座間味(ざまみ)村、恩納(おんな)、読谷(よみたん)村、城辺(ぐすくべ)町などなど……。北海道の地名を耳にしている人には左程大きな違和感はないかも知れないが、道路標識に書いてある文字を目にしても独特の綴りで読み方が見当もつかない。話し言葉にいたっては単語自体が異なっており全く理解できない。とても、鹿児島弁の比ではない。

 名字は、地名に縁のあるものが多いようである。しかし、読み方は必ずしも同一ではない。例えば、「平良さん」は地名読みでは「ひららさん」となるが、人名では「たいらさん」である。日本の何処にもない独特の姓ばかりで、一種奇異な感を受ける。一般的には二文字の姓が多いが、三文字姓もかなりある。一文字の姓は高貴な身分を示すそうで、琉球王家の尚氏の一家だけだそうである。中国の南北朝時代の覇者である王候の名字が一文字であることにも、何らかの関係があるのかも知れない。

 よく出来たもので、琉球の人達は姓を見れば、出身地も係累も皆分かるらしい。漢字か発音のどこかに情報が隠されているのだろう。内地の鈴木さんや中村さんの出自が皆目不明なのとは大違いである。便利でよいが、中には分かり過ぎて困ることもあるだろうと同情する。一寸恐い感じもする。

 沖縄は人種のるつぼである。戦後、米軍が駐留したために混血が増えたように思っている人がいるが、そうではない。もともと琉球は、江戸幕府に属国にされる以前から琉球王国として海上交易の盛んなところで、世界各国からの交易船が水の補給や燃料の積み込みに立ち寄ったことによって栄えた所である。古くは秦の時代、徐福が始皇帝の命を受けて不老長寿の海産物を探しに来たという徐福伝説も残っている。従って、那覇市は大昔から国際都市であった。国際的なロマンスも多かった筈で、東南アジア諸国だけでなく、スペインやポルトガルとの混血の人もいる。

 地元の人に聞いてみると、5、6代遡るとどこかで大抵外国人の血が混じっており、4ヵ国ぐらいの混血は珍しくないという話である。肌が色黒で、眉毛や目の辺りにインドネシア的な風貌を持っている人も少なくない。時折り、南国にもかかわらず色白の白人的な容貌の女性や、鼻筋の綺麗なとんがった鼻を持った北欧風の人も見掛ける。ハワイでは 15 カ国くらいの混血の人もいるらしいので、海上の島国として共通したところがあるのだろう。

 民芸も豊かである。ギアマンと呼ばれるガラス細工、「紅型(びんがた)」と呼ばれている絵画模様の草木染め、紺地に茶の縞柄の久米島紬ともいう琉球紬、陶器の「壺屋(つぼや)焼き」などは全国的にも特に有名である。

 壷屋焼きは、陶工の金城次郎さんが人間国宝になって一般の人々に知られるようになったが、壺屋(つぼや)町は那覇市の郊外にある。小さな街だが、窯元は20軒くらいはあるだろう。到る所に小さな窯元がある。琉球独特の魚の紋様の器や皿などのほか独特な形の瓶物が多いが、中には色合いが益子焼きそっくりのものもある。色合いといい、風合いといい、釉薬(ゆうやく)の感じといい、非常に土の香りの高い焼き物で、益子焼きの発祥は琉球ではないかと思いたくなるほど似ている。

 金城(きんじょう)次郎さんが人間国宝になって以来、内地からの「壺屋焼き」ツアーが増えたそうである。私が訪れた時も、賑やかなおばさん達の一団がワイワイガヤガヤと喋り合いながらウロウロキョロキョロして買い漁っていた。しかし、商社の丸紅がそこに目を付けて間髪置かず、金城さんの作品を高値で買い占めたらしい。その結果、以前の数倍にも値段が跳ね上がって、地元の人には手が出なくなったということであった。

 さすがに、利に敏い商社だとは思うが、それにしても自己の利益のためだけに庶民のささやかな楽しみを奪うような行為はえげつない。現地の人たちは正直で、丸紅の評判は余り芳しくなかった。それでも内地で買うより遙かに安く、大体、内地の三分の一から五分の一の値段で買える。

 台湾とは今でも日常的な交流があるという。金曜日の深夜に焼き玉エンジンの小さな漁船を数時間走らせれば、早朝には台湾に着くらい近いらしい。パスポートも何もなくても入国できると聞いて驚いた。密入国、密出国で捕まりそうなものだが、琉球と台湾との長い歴史的交流が黙認させているのか、税関は見て見ぬ振りでそれほどうるさくないという話である。

 内地より台湾の方が近いのである。最近、日本への密入国者が沖縄で大量に捕まったことが新聞に載っていたが、案外、彼らは「チョット隣り町へ行って来るよ」ってな感じで、悪いことをしているという認識がない人もいるのではないだろうか、とふと思った。

 沖縄で美味いものは、やはり名産の黒砂糖である。固まりをそのまま噛じるのが旨い。メキシカンコーヒーのように、黒砂糖を噛じりながらコーヒーを啜るのも旨い味わい方である。南国の歯触りと砂糖きびの仄かな香りがする自然食品である。ミネラルを豊富に含んでおり、健康食品としても見直されてきている。

 海産物では、シャコ貝の刺身が実に美味い。ホヤと貝柱を合わせたような歯触りの良い身である。これだけは沖縄で食べるしかないが、内地には何故入って来ないのだろうか?大きなものは50cm以上もある巨大な貝で、指を挟まれたら指が千切れることもあるらしい。 現地で「ゾウ海老」と呼ばれているずんぐりむっくり姿の巨大な海老も美味い。繊細さを感じさせないずんぐりした見掛けが如何にも大味を連想させるが、味は伊勢海老に似てすこぶる美味である。残酷だが、生きたまま沸騰した塩味のお湯の中に投げ入れて、紅く煮上がったゾウ海老にマヨネーズをつけて食べてもよいし、酢醤油でも美味い。

 情緒豊かな名前の波之上宮(なみのうえぐう)の近くには、アメリカンステーキの専門店がある。値段も安くて量もあり、実に美味しい。店の前には大勢の観光客や土地の人が整然と並んでひたすら待っているくらい流行っている。ただ安いというだけではない筈である。テーブルの上に沢山の香辛料が並べてあって、焼き上がったステーキに自分で振り掛けて好みの味付けをして食べるのだが、味も店構えもエキゾチックで、アメリカ西部のような雰囲気が漂っていてアメリカ西部の街にでもいるような錯覚に陥る。

 那覇市郊外東シナ海に面して、琉球ガス通りが走っている。海側には海しかないという沖縄最西端の道路である。波之上(なみのうえ)宮の前から泊(とまり)までの1.2kmが橋になっていて、海の上を走っている。爽やかな海風も心地よいが、真っ赤な夕陽が東シナ海の水平線の彼方に沈む光景は絶景である。アベックや観光客が車から降りて、いつまでも時間を忘れたかのように夕陽に見とれている。那覇のデイトスポットである。夕陽が海に沈んでいくのがよく分かる。是非、もう一度行ってみたい場所である。

 琉球には、シーサーと呼ばれるギョロ目の獅子の座像を屋根の上に載せて魔除のお守りにする風習がある。台湾にも同じような風習があるが、殆どの家の屋根にシーサーが一匹か二匹鎮座している。赤っぽい瓦の上にちょこんと乗っている光景は中国か台湾という風景で異国情緒を感じさせて呉れ、一瞬、日本であることを忘れさせて呉れる。

 シーサーはお寺の本堂の前に左右に座している「あ・うん」の獅子像とそっくりな姿をしており、狩野永徳の襖絵に描かれているような中国的な獅子を思い浮かべればよい。いかめしい形相のものが多いが、最近はユーモラスな可愛い表情のものも増えて来た。街行く人々の言葉が日本であることを認識させて呉れるが、強く明るい太陽の光がスペインかポルトガルの田舎といった異国情緒と光景を出現させる。


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