以久遠氏の Beauty,Business & Favorites    文化人間学   VOL-03/1999.01.15

京人形東人形      

 人形にさほどの興味を持っている訳ではないが、京人形は皆一重瞼(まぶた)である。二重瞼の京人形は見たことがない。もしあったとしても極めて少ない筈である。京人形はどうして一重瞼なのか不思議に思っていたが、京都の街に住んでみて納得がいった。一年半程の滞在で短期間ではあったが、休日には物珍しさも手伝って散歩がてらに三条から四条の河原町通りをキョロキョロ見物しながら歩き廻った。その時、一重瞼のことがふと閃(ひらめ)いた。

 京都という街は人口が多い割には小さな街で、若者向きの大きな遊興街となると河原町通りの三条から四条にかけてと新京極界隈しかない。京都人も仲間と食事で何処かへとなると、大抵、三条から四条にかけての河原町通りの商店街に繰り出す。従って、この界隈だけはいつも大勢の人達が肩を触れ合わさんばかりに狭い歩道を往き来し、若者で溢れ賑わっている。学生や若いサラリーマンやOLが殆どで、20代の若い人達が特に多い。新京極の商店街には、両側のお土産店を右に左に覗き込みながら、のろのろ、ざわざわと歩いている修学旅行の中・高校生の一団も溢れている。

 その大勢の人達で賑わっている河原町界隈をうろうろしていて気が付いたことは、先ず、京都の女性は小柄だということである。顔が小さく色白で、人形のように無表情な女性が多い。そのまま舞妓さんにしても似合いそうな無表情で小柄な女性がそこかしこにいる。ちょっとばかり気取っていて、取り付く島がない感じの女性が多いが、親しくなると別人のように一変する。関西人に特有なちょっとばかりオーバーな仕草と明るさが出、笑い声もケラケラと明るく大きく、表情も実に豊かになる。

 どうしてこんなに変化するのかと驚いたが、その原因は、どうも一重瞼にあるようだなと気が付いた。一重瞼というのは能面のように無表情で、冷たく、素っ気無い印象を与えるものである。一重瞼がその落差を大きくしているのである。

 東京や九州は一重瞼よりむしろ二重瞼の女性の方が多いように思うが、京都では通りを歩いていても、二重瞼の女性には滅多にお目にかかれない。京都の人達には二重瞼が極めて少ないように感じる。それに体格も小柄で背丈も低く、骨太の体格の良いがっしりした女性を殆ど見掛けない。肌色の白さと冷たい表情は小柄な女性をますます楚々と見せる。東京では山手線に乗ると、170cmを超えるような大柄な女性が必ず一車両に数人はいる。彼女らを見慣れている目には、京都は、一種、不思議な街に映る。

 京都や滋賀は、数百年前に大陸から外来民族の技術者集団が多数入って来ている地区である。司馬遼太郎氏の「歴史を紀行する」という本を読むと、西暦700 年頃に、時の政府が百済人を洛西の松尾の辺りに住まわせたと書いてある。新羅人は滋賀県の琵琶湖北岸の志賀に住まわせたらしい。古代まで遡れば、大和朝廷を造ったのも韓国系の渡来人だと思われるので、京都に限らず近畿地方には渡来人との混血が多いことは十分考えられる。

 司馬遼太郎氏の言を借りれば、百済人というのは、体毛が薄くて色が白く、目がやや吊り目の一重瞼で、後頭部が絶壁という骨格的な特徴があるらしい。いわゆる、公家顔である。そういう目で京都の女性を見ると、1200年後の今でも確かに大陸系の感じを抱かせる気品のある顔だちの人がいる。血液型もB型が多いようで、血の濃さのすさまじさを感じる。

 京人形がやや吊り目か水平の一重瞼であるのは、そのせいではないだろうか。浅草人形には、垂れ目も二重瞼もある。韓国に近い九州の博多人形にも垂れ目や二重瞼の人形があるが、これは南方系の血が入っているのだろう。インドネシアの人達は皆二重瞼の目付きの鋭い精悍な顔付きをしている。


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