日比谷、フランス料理「フォンテンブロー」街中から本格的なフランス料理の店が消えて、どのくらい経つだろうか?多分、15年か20年になると思うが、昔は、六本木、九段、代官山、目黒、自由が丘などのオフィス街や高級住宅地の近隣地にはネクタイ着用の高級フランス料理店や気軽に入れる小規模の家庭的なフランス料理店などが沢山あった。それが、焼肉店が増えるにつれて反比例するように消え、今では殆ど見掛けない。それどこらか、突然発生した狂牛病の所為でその焼肉店さえも多くが消えてしまった。
当時はフランス料理の全盛時代であった。日本で最高級のフランス料理店と言えば、やはり日比谷の帝国ホテルの「フォンテンブロー」ではなかっただろうか。夜を忘れたように煌々と輝く銀座や赤坂のネオン夜景が望める十数階にあったが、地下には、パリに本店のある「マキシム・ド・パリ」の支店も入っていた。「フオンテンブロー」には帝国ホテルのチーフシェフである村上信夫さんがいて、週のうち一日だけ彼の料理日があった。
村上さんは東京オリンピック(昭和39年)の総料理長を務めた人で、日本のシェフの頂点を極めた人である。しかも、シェフでありながら帝国ホテルの常務にまでなられた。村上信夫さんは日本のフランス料理を代表する人と言え、最近でも週刊誌などにもちょくちょく登場されているが、当時、村上信夫シェフの料理日は一ヶ月ぐらい前からの予約が必要だった。
その「フォンテンブロー」で、村上信夫さんのフランス料理を一度だけ食べたことがある。当時、木曜か火曜のどちらかが村上信夫チーフシェフの料理日だったと思うが、目が飛び出るような値段だったので、安サラリーマンの懐では到底手の出せるようなものではなかった。それが、ひょんなことで村上さんのフランス料理を食べる機会を得た。知人の女性に、商店街の売り出しの景品でペアー招待券が当たったので、一緒に食べに行きませんかと誘われたのである。
フォンテンブローの店内は重厚な造りで、床には厚い緋色の絨毯が敷いてあり、天井には豪華なシャンデリアが煌(きらめ)き、壁にはシェードを通した緑色の光が淡く反射していた。緑色と言えば、自由が丘駅前の「トップ」という瀟洒なフランス料理店も絨毯やカーテンやシェードランプが淡い緑色で統一されていた。「トップ」の印象が強い所為か、フランス料理というと淡い緑色を思い浮かべてしまう。その淡い色調の店内には通路がゆったりと広く取ってあり、黒色の漆塗りのテーブルと椅子が広い店内に疎らにレイアウトされていた。隣のテーブルの話し声は聞こえず、他のお客さんと目線が合うこともなく、落ち着いて食事と会話を楽しむことが出来た。
料理が運ばれて来た。村上信夫さんが席に現れ、「このキャビアはカスピ海のソ連側で獲れたものです」、「このフォアグラは駝鳥の肝臓です」、「このトリュフはブローニュの森の中で豚が探して来たものです」といった具合に食材の説明と料理の味わい方などを懇切丁寧に説明してくれた。トリュフは豚が匂いを嗅いで探すことを初めて知った。村上さんと直に話せるだけでも、緊張する至福の一時である。都会の喧騒と忙殺される日々の雑務から逃れて、ゴージャスな雰囲気の中でゆったりとした寛ぎは最高の贅沢であった。
その一世を風靡(ふうび)した高級フランス料理レストランが、20年程前、健康食品ブームが起きてからというもの、瓦解するように街中から消えてしまった。値段が高過ぎて、フランス料理を食べる人が激減したのである。フランス料理が売り物にしている世界の三大珍味と言われるトリュフとフォアグラとキャビアのうち、フォアグラとキャビアはコレステロールの塊のようなものである。これらが現代の健康食品ブームにそぐわなくなったことも激減の一つの理由に挙げられるのかもしれない。
また、価格破壊の世相の中で、値段の高さを理解できない人種が増えたのか、あるいはコンビニやファミレス育ちの人たちには値段だけが目に付くのか、あるいはまた、ジーパン姿が当たり前になった人たちには黒のタキシード姿のウェイターの「いらっしゃいませ」と深々と頭を垂れて慇懃(いんぎん)に迎え入れる仕草がそぐわなくなってしまったのか、いずれにしても時代の流れに取り残されたことは間違いないだろう。
しかし、フランス料理店とよく似た日本料理の懐石料亭は、値段も気取り具合もフランス料理レストランに全く引けを取らないのに、昔より流行っている。確かに、魚と豆腐と季節野菜と鶏肉が主材料の懐石料理は見るからに如何にも健康食品という風情である。時の流れが懐石料理に軍パイを挙げたのかもしれない。