
3月21日から23日までの二泊三日で、17年ぶりに三度目の沖縄を訪れた。沖縄には過去二回訪れているが、初夏のように暖かい2月と酷暑の8月で、いずれも第二次大戦の激戦地であった中央部から南部の地域ばかりである。またまた今回も南部地区の旅で、3月の桜の季節の旅は初めてであった。しかし、今年の桜は内地でさえ開花が早く3月末には葉桜になりそうな気配で、所によっては既に満開を過ぎているところもあるくらいである。
とても、温暖な南国の沖縄で桜の花見が出来る筈はないだろうな、そんなことを考えながら那覇空港に降り立った。冷房の効いた空港建物を一歩出ると、外はムッとするほど蒸し暑い。亜熱帯の地だけに気温は25度もあり、しかも湿度が高くジットリと汗ばむ。一瞬の内に3月であることを忘れさせる暑さで、直ぐそこに猛暑の夏が来ていた。案の定、空港通りの桜は既に散って、輝くような黄緑色の若葉が繁っていた。
宿泊したホテルは、那覇空港の北方、那覇港の対岸にある12階建てのロワジール・ホテル・オキナワという新築のリゾートホテルである。東シナ海に沈むサンセットが有名な波之上(なみのうえ)通りの南端の海岸端に建っている。17年前は倉庫会社や運送会社のターミナルが集まっていた地区で実に殺風景な街だった。当時を知る者には、この地区が華やかなリゾートゾーンに一変するなど想像だに出来なかった地区である。
現在はその一角に那覇ショッピングセンターも出来て、ピンク色の派手派手しいパシフィックホテルやビジネスホテルなどが乱立し、リゾート街へと変わろうとしている。ロワジール・ホテル・オキナワは、ホノルルのシェラトン・ワイキキ・ホテルを十分の一ぐらいに縮小したような円周形造りの瀟洒(しょうしゃ)な造りの建物である。ロビーの上の二階部分には小規模ながら南国風の庭園が造ってあり、東シナ海が一出来る。片隅には小さなプールとカフェテラスもある。デッキチェア―に腰をおろして東シナ海に沈む黄金色のサンセットの眺めは素晴らしいだろう。
ロワジール・ホテル・オキナワは外観は瀟洒であるし部屋も広く綺麗で、もう少し敷地が広ければ申し分ないが、残念なことに敷地が狭いためにホテルロビーが狭いのとホテル内をのんびり散歩する庭がない。折角、海岸にありながらプライベートビーチがないのも惜しい。もう少しお金を掛ければハワイとまではいかなくてもグアムぐらいの観光地にはなるだろう。それでも沖縄南部の那覇地区では一流らしい。
17年前に来たとき、波之上(なみのうえ)臨海道路の泊(とまり)大橋の上に車を停めて眺めた東シナ海に沈むサンセットは見事で美しかった。サンセットとともに果てしない東シナ海が一面黄金色に染まり、徐々に黄昏て行く光景に一心に見とれた。そんなことを思い出しながら、多分、このホテルからのサンセットも素晴らしいだろうと思って、レストランのメイドさんに尋ねてみると、メイドさんは目を輝かせて「オーシャンビューの部屋から眺めるサンセットは絶景ですよ」と説明してくれた。
8月のサンセットは7時半頃であるが、3月のサンセットは大体6時頃から6時半ぐらいまでらしい。しかし、私たちが訪れたときは二日間とも今にも雨が降り出しそうな曇り空でどんよりと厚い雲が垂れ込め、残念ながら雄大な東シナ海に沈む黄金色の雄大なサンセットは見ることが出来なかった。
ホテルの一階にはブランド品や貴金属宝飾品やお土産などの小奇麗なショップが並んでいる。並べてある商品の質も良く、店員教育も行き届いていて応接レベルも高い。店員さんを気にせず、気持ち良く見物できる。中でも、珊瑚(さんご)の加工品を売っている店は、まるで珊瑚美術館か珊瑚博物館かと見紛うほどの立派さである。千数百万円の値札の付いた珊瑚や珊瑚の加工品が10数点展示してある。数十万から数百万の商品なら数十点はある。しかし、こんな高価なものを買う人がいるのだろうか?熱心に見物していると親切な店員さんが脇に寄って来て、珊瑚の良し悪しの見分け方を教えてくれた。
色の綺麗さ加減はあるが、硬ければ硬いほど良い珊瑚なのだそうである。今まで珊瑚を宝石と思ったことはなかったが、店員さんの説明を聞いて改めて展示品を眺めてみると、珊瑚の素晴らしい価値が再発見出来たような気がする。流石は珊瑚の島、沖縄だけのことがあり一見の価値がある。隣に飾ってあった今流行りのブランド品が影が薄く見えた。
今回の旅は、このホテルを拠点にして正味一日半ばかりの駆け足の南部観光であったが、例によって家族それぞれが明確な旅の目的を持って訪れている。ある者は沖縄の歴史散歩を目的とし、ある者は観光専門、ある者は第二次世界大戦の戦場視察といった風に……。それぞれの訪問目的の場所を決め順路を決めたら、私はタクシーの運転手のようにレンタカーで案内することになる。
私の家族は、誰一人、家族旅行だからといって特別に早起きするようなことはない。勝手気ままにのんびりと朝食時限すれすれに起きて来る。人影の少なくなった食堂で遅い朝食をゆっくり寛いで摂った。食事が終わると、それぞれの思いを胸に、那覇から一路国道331号線を南下し、糸満(いとまん)市を経て「ひめゆり」の塔を訪れる。
ひめゆり部隊の殆どが戦死した洞窟を覗き込みながら更に奥に向かって歩いて行くと、立派な「ひめゆり平和祈念資料館」が新築されていた。17年前に来たときには観光客の人影も少なく、ひめゆり部隊が全滅した洞窟の直径3mくらいの穴が地面にひっそりと不気味に穴を覗かせていただけだった。その洞窟を見たときは悲惨さが胸に沁みたが、今回来て見ると、洞窟から程近い道路沿いにはお土産屋さんが4、5軒並び、沖縄ラーメンやソーキラーメンの店も出来て、人だかりのする賑やかな観光地となっていた。
その「ひめゆり平和祈念資料館」の生々しい戦争遺物は見るほどに痛ましく、雷雨のように降る砲弾の犠牲になって亡くなった人たちのことを思うと、自然と言葉少なになり厳粛な気持ちになる。館内の壁には4人のお医者さんと40数名の看護婦さんたちの一人一人の写真が展示してあった。15歳から17、8歳の看護婦さんたちばかりである。そして、その写真の下には一人一人の死亡状況が克明に記されていた。
彼女らの死亡時の状況や死の直前まで記された手記は生々しく、いたいけない少女の悲愴な思いが痛々しく伝わって来る。一行二行のメモの類もあれば、小さな文字で丹念に書かれた手記も残っている。それらを読んでいると、戦争の悲惨さに心が痛み、益々厳かな気持ちになる。大勢の見学者の中にはハンカチを手に目頭を押さえながら走り書きのメモを一心に読んで見ている女性もいる。ひめゆり部隊の看護婦さんの手記を読みながら思わず涙している女性もいる。素晴らしい展示である。
館内の「ひめゆり洞窟」の模型の前では、75歳ぐらいだろうか、「ひめゆり部隊」の生き残りのお婆さんが当時の状況を語り部のように一心に熱を込めて語っていた。戦後50数年も経てば生き残った人たちも世を去り、戦争の実体験者である自分たちが貴重で希少な戦争体験を後世に残さねば、という使命感がほとばしって、語り部のようなお婆さんの姿には鬼気迫るものがあった。お婆さんの語りに耳を傾け、生々しい展示資料に一点一点目を通して行くうちに、知らず知らず、激戦下の1945年へと引き込まれて行く。
ニューヨークテロ事件の後だっただけに、平和の大事さと人間の尊さを身に沁みて感じていた人も多かっただろう。しかし、あと数年もすれば、語り部のお婆さんたちもいなくなる。そうなれば、沖縄の戦争悲劇も過去の帳(とばり)の奥に閉ざされてしまうことになる。残念なことである。何とか後世に伝え残して欲しいものである。ひめゆり平和祈念資料館は、さして大きな資料館ではないが、あっという間に一時間以上の時間が過ぎた。素晴らしい「平和を祈念する」博物館である。沖縄を訪れる人は是非「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れていただきたい。
「ひめゆり」の地から15分ばかり東へ走ると摩文仁(まぶに)の平和祈念公園に着く。17年前には「摩文仁ヶ丘戦跡公園」と言ったところである。昔の小さく貧弱な資料館は取り壊され、「平和祈念資料館」として鉄筋4階建ての近代的で豪壮な建物に建て変わっていた。昔の摩文仁ヶ丘戦跡公園の面影は殆ど残っていなかったので、初めて訪れた地のような感じがした。先般、小泉首相も訪れた「平和の礎(いしじ)」も整備され、各県毎に戦没者名が刻まれた黒い御影石の石壁が整然と100個以上も立ち並ぶ光景は異様である。
道路を挟んで平和祈念資料館の入り口の向かい側に、昔はなかった「韓国人の墓碑」と円塚の形をした「墓稜」のある区域が造られていた。しかし、訪れる人が殆どいなかったのは残念である。その墓碑と円塚を見たとき、ある種の複雑な不審な感情が湧いた。日本の為
に戦い、日本の為に命を棄てさせられた韓国人たちの墓碑が、何故、ポツンと道路の反対側にあるのだろうか?どうして平和祈念公園の「平和の礎」の中に一緒に祀られていないのだろうか?何故?何故?義憤の念が湧き起こり、嫌な政治の匂いがした。
摩文仁(まぶに)の平和祈念公園から20分ばかり東へ走ると、「玉泉洞大国(ぎょくせんどうおおこく)村」に着く。17年前は単に全長890mという東洋一の鍾乳洞のある玉泉洞と「ハブとマングースの見世物小屋」があっただけの所である。
その場所に広大な駐車場が設営され、琉球王朝文化のきらびやかなテーマパークに変貌していた。駐車場の車のナンバープレートは見事にレンタカーの「わ××−××」ばかりで、沖縄観光はナビ付きのレンタカーに勝るものなしであることがよく分かる。
玉泉洞大国村を出て北上し、那覇市中心部の首里城(しゅりじょう)公園を目指す。首里城は、1992年に復元された第二尚(しょう)氏王朝琉球国王の王府であり王宮の跡である。
17年前に訪れた時は、「守禮之邦」という扁額(へんがく)が掲げられている守禮之門があっただけで、それも荒廃し、半分壊れかけ荒れてうらびれ果てていた。みすぼらしかった守礼の門は中国風の鮮やかな朱色に塗られて綺麗に復元され、朱色の首里城には王宮の香りが優しく漂っていた。それでも復元されてから10年も経つと、中国特有の艶やかな朱色もやや色褪せていた。
今回、平和を象徴的する戦場跡地、純然たる観光地、沖縄の歴史の地など、それぞれ代表的な所を見て廻ったが、私自身は「今帰仁城跡(なきじんじょうあと)」や「座喜味城跡(ざきみじょうあと)」や「識名園(しきなえん)」などの世界遺産も見たかった。しかし、二泊三日の行程ではとても無理で、いつの日かもう一度ゆっくりと訪れてみたい。何度訪れても飽きない島である。