以久遠氏の Beauty,Business & Favorites 巻頭 VOL. 44 / 2002.07.15号 【毎月15日更新 since 1998.12.15】

今、安岡正篤氏の「心の儘(まま)」という本を読んでいる。「心の儘」という本は、山形上の山(かみのやま)藩の金子与三郎(号:得処)という幕末の松平藩士が33歳のときに著したもので、それに安岡氏が解説を加えている本である。安岡正篤氏によれば、40歳余で早世しなければ、多分歴史に名を連ねたであろうという長岡藩の河井継之助と併称される人傑であるらしい。その「心の儘」の中に
「…人をつかうには、作気(さっき:やる気を起こす)の術(すべ)というものをもって遣(つか)うことが大事である。されど
小過(小さな過ち)を咎(とが)めず。備うる(完全、完備)を求めず。そのものの癖と疵(きず)とを見て用うるにあり。
…人も賢人君子ならざるよりはみな疵ものなり。疵の大なるほど大わざの出来るものなり。この疵ものをあ
つめ、その気をひきたて遣(つか)わば、富裕大業うたがいなし。ただ奸(かん)商の心あるものは用うることあた
わず。…人を手離して用うるというものなれ。…」
という文がある。疵とは事変わった個性といった意味でユニークな人物を意味し、「人を手離して…」とは、馬術に例えれば「あまり手綱を締めては駄目で、馬は遊ばさなければいかん」といった意味である。管理や規則でがんじがらめにして緊張感ばかりを強いてはいかんという訳である。
緊張感は人間にとって重要な資質のひとつである。一種の警戒感と言えなくもないが、人間の生きる場面の中には緊張する場面、あるいは緊張しなければならない時が必ずある。従って、緊張すべき時には緊張できる人間でなければならない。重量挙げの選手を見ても分かるように、バーベルを持ち上げる前に一度筋肉を弛緩(しかん)させてから気を詰めて持ち上げるという動作をする。緊張が大きな力を出すのである。このように緊張と裕りとは表裏一体の関係にある。一瞬の緊張感さえ持てない人間は単に「だらしない」だけで、最低の人間であると言える。
だからと言って緊張ばかりでいると、肉体的にあるいは精神的に必ず潰(つぶ)れる。人生は、緩急(かんきゅう)を持って生きる事が大事である。日夜休まず稼動し続ける機械に潤滑油が必要であるように、人間にも裕(ゆと)りという潤滑油が適度に必要である。ゆとりがあって始めて大きな緊張がある。緊張とは一心の集中力であり、裕(ゆと)りとは「癒(いや)し」と言い直しても良い。当該本人から言えば一種の「さぼり」のようなものだが、管理者から言えば細かいことに目くじらを立てずに「小事に目を瞑る」ことである。最近、「イヤシ(癒し)」の風潮が広まって来たが、良いことである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 旅紀行 日本海の街、金沢 食紀行 岩手、浄土ヶ浜の鮑の醤油焼きとホヤ貝 文化紀行 携帯電話で文字文化は蘇るか? ビジネス 組織の若さ Profileと雑感 JR東日本の洒落た旅パンフレット 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 Enter From 検索 UpDate & Back Number Index Previous 巻頭と目次 旅紀行 食紀行 文化紀行 ビジネス Profileと雑感