今年の3月ごろ、私の住んでいる神奈川県の藤沢のJR駅前に、突如、関西風の派手派手しい旗を数本立て廻した「たこ焼き」の屋台が現われた。小型トラックの荷台をたこ焼き屋に改造した移動式の屋台である。私は現在、東京の本社と神戸西区の事業所を行ったり来たりしており、関西勤務中は明石に住んでいる。その明石の「たこ焼き(明石では「たまご焼き」と言っている)」であった。
本社からの帰宅途中、藤沢の駅前でその屋台を初めて見付けたときはビックリした。藤沢に「明石焼き」と書いた旗を立てた「たこ焼き屋」さんが現われることなど露ほども考えたことがなかったので、「遂に、藤沢にも関西文化が侵入して来たか」と、大袈裟に言えば黒船来航のような驚きを感じた。しかし、たこ焼きを買う人がそんなにいるとも思えなかった。
と言うのは、藤沢は湘南文化の中心みたいなところで、関東圏では最も関西風の似合わないところである。鎌倉から藤沢の湘南地域は昭和30年代までは東京に本社のある大企業の役員さんや政治家、芸術家、文人墨客(ぼっきゃく)たちの別荘地だったところである。その面影は鎌倉、逗子、鵠沼あたりの大邸宅に今も残っている。そういう歴史の所為か、私の周りの住民を見ても、地元周辺か東北か九州出身者が多く、関西出身者は殆どいなかった街である。
しかも、湘南サウンドを生み、太陽族の活躍したところでもある。古くは加山雄三や石原裕次郎や寺内たけし、加瀬邦彦、最近ではサザンオールスターズらに代表されるように、どちらかと言えば洋風好みの都内の人たちが憧れる街である。極めて東京の香りの強い都会的な街で、従って、最もたこ焼きの似合わない街ということになる。大体、たこ焼き器を持っている家が殆どないくらいであるから、たこ焼きとかお好み焼きという食べ物に馴染みが薄いのである。
10年程前までは藤沢駅の向かいの小田急デパートの裏のビルにお好み焼き屋が一軒あったが、いつの間にかその店も無い。しかし、たこ焼きの屋台が出ているのを見たときは、最近の藤沢は急激に人口が増えているので、関西出身者もかなり増えているのかも知れないと思った。必然的に、たこ焼きの需要も出て来たのだろうと想像していたが、帰宅途中にそれとなく見ていたが、それにしてもお客さんがいるのを見掛けたことがなく、「この屋台もいつまで持つのかな」と同情の念が湧いた。
危惧したとおりで、夏場を迎える頃にはそのたこ焼き屋も消えて見えなくなった。ひょっとしたら倒産したか、江ノ島あたりの他の地区へ引っ越して営業しているのかもしれない。藤沢駅の周辺では売れなくとも、江ノ島や鎌倉などの観光地では値段の安さと物珍しさからそこそこには売れる筈である。秋口の涼しい海風が吹き始める頃になれば、また現われるのかも知れないが、大体、東京自体が関西風の少ない街である。
東京には世界中の料理が無い物は無いくらいに揃っている中で、不思議なことに、何故か関西のたこ焼き屋やお好み焼き屋が極端に少ない。大阪と言えば「讃岐うどん」であるが、東京ではその讃岐うどん屋さんでさえ殆ど見掛けない。蕎麦屋さんは多いが、三分の一くらいしかないだろう。最近になってやっと、うどんの「美々卯」が虎ノ門や銀座に出店しているくらいである。結構繁盛しているが、大阪のうどんとしては東京上陸が遅すぎるくらいである。
たこ焼き屋やお好み焼き屋は、新宿や池袋や上野あたりには探せばあるだろうと思うが、渋谷や目黒の山の手地区ではお目に掛かれない。もちろん、たこ焼き器を持っている家は殆どない。