
インターネットが普及したお陰で、調べたいことが直ぐに分かるようになった。便利になったものである。もう35年くらい昔になるが、学生の頃、グルメの好きな友人とささやかな贅沢を味わいに、年に1、2回、一張羅の背広にネクタイを着けて自由ヶ丘のフランス料理店「トップ」というレストランを訪れて食事をしていたことがある。その店は今でもあるのかな、と思ってホームページを検索して探してみたが見当たらなかった。ひょっとしたら、バブルの頃に自由ヶ丘の本店は閉店したのかもしれない。「トップ」という名前のチェーン店が池袋や渋谷で見掛けるが、多分、自由ヶ丘トップの関連店だろうと想像している。
私は大学生の頃、東横線の学芸大学駅の東口側に住んでいた。駅から10分ばかり東へ歩いたところに目黒郵便局があり、その隣にある福岡県人会の学生寮である。レストラン「トップ」には、学生寮の友人と思い出したように時々訪れた。学生の分際にはちょっと値段が張ったが、店内の雰囲気が好きで、趣味と実益を兼ねていたハワイアンバンド出演のギャラが入ると偶に訪れていた。三ヵ月か半年ご無沙汰すると「自由ヶ丘へでも行くか」となるのである。
東横線は渋谷の方から学芸大学駅、都立大学駅、自由ヶ丘駅と並んでいる。目黒通りの北側が学芸大学駅で、南側目黒通りに接して都立大学駅があり、その南に自由ヶ丘駅である。私たちは目黒郵便局の交差点から目黒通りをテクテク歩いて下り、歌謡曲で「柿の木坂は駅まで三里…」と歌われた目黒区柿の木坂を通って都立大学駅の傍を通って自由ヶ丘まで歩くのである。
大抵、学生寮の夕食が無い日曜日の夕方から散歩がてらに出掛け、「トップ」の帰りに喫茶「モンブラン」でコーヒーと洋菓子のサバランを楽しんでから学生寮へ歩いて戻って来るというのが定例のコースである。30分くらいは掛かったと思うが、腹を空かして美味い料理を食べるの良いものである。
東横線自由ヶ丘駅の西口はロータリーになっている。自由ヶ丘と言えば、小説「自由ヶ丘夫人」で有名になった有閑マダムの代表的町である。昭和の新興高級住宅地で、今ではマンションが聳えているが、当時は、駅前から数分も入ると瀟洒な邸宅が立ち並んでいた。通りや駐車場で見掛ける車は高級外車ばかりで、如何にも金持ち階級の街という雰囲気が漂っていた。大実業家や著名な芸能人・有名人の住む豪邸の街、田園調布は自由ヶ丘の南隣である。
自由ヶ丘駅の周辺には、巨大な餃子が美味しい中華料理の南国酒家や、モンブランが美味しいケーキ喫茶店「モンブラン」や、花屋さんが数軒目に付いたが、八百屋や魚屋や肉屋といった店は少なく、下町的な日常的生活感の乏しい街であった。それらの店は裏通りにでもあったのだろうと思うが、小さな街にしては著名な店が多い美しい町並みの街である。
フランス料理のレストラン「トップ」は、駅の北側を東横線を横切って走っている道路を西へ数分歩いた右側にあった。車が3台くらい停められる駐車場がある木造二階建てのこじんまりした洋館造りで、優雅で独特な雰囲気を醸し出しているレストランである。一階はワンフロアーのレストランで4人掛けのテーブルがゆったりと配されており、二階にはフロアー椅子席と個室があった。
店内は淡い緑色で統一されていた。淡い新緑色の壁に、窓側にはやや濃い緑のカーテンが掛かっており、壁に掛かっているシャドーランプからは黄緑色の明かりがその淡い緑色の壁に反射して、上品な雰囲気を醸し出していた。壁にはルノアールの絵が掛けられ、床には分厚い絨毯(じゅうたん)が敷き込まれていた。帝国ホテルのフォンテンブローのような豪華さはないが、実に優雅で、さりげない華やかさが漂っており、落ち着いていて家庭的な雰囲気のあるいい店であった。
いつも、ワインの付いた3500〜4000円くらいのコース料理を食べていたが、料理を頼んでからテーブルに並ぶまでワインを味わい、料理が出て来ると魚とステーキを楽しんだ。店に入ってから退出するまで2時間ばかりの間、「トップ」は、心を豊かにして呉れるレストランであった。社会人になってからは滅多に自由ヶ丘に行く機会もなくなった。池袋や渋谷の「トップ」には顔を出したことがあるが、残念ながらそこらのチェーン店と何ら変わらない店で、自由ヶ丘「トップ」の上品に落ち着いた雰囲気が全く無いのが寂しかった。
当時、学生仲間では自由ヶ丘の街を「自由ヶ丘村」と呼んでいたが、このゆったり感は都心から15kmほどしか離れていないにもかかわらず独特のコミュニティーを形成していた。その独自性が独特の「村」感覚が醸し出していたのだろうと思う。その優雅な個性も、近年は近代的な高層ビルが建ち並び、段々、失われて来ている。破壊されて失われたものが再び甦ることがないことを思うと、寂しい限りである。「トップ」の雰囲気は本店に行かないと味わえないと思ったが、今はどうなっているのだろうか?やはり、気になる。
◇◇ ◇◇その後の「自由ヶ丘トップ」◇◇ ◇◇
※ 2006.04.22、ひょっこり、「トップ」の関連レストランでシェフをされていた方から下記「その後のトップ」の消息のメールを頂いて、気になっていたことがやっとのことで判明した。しかし残念なことに、やはり、「自由ヶ丘トップ」は廃業していた。ありがとうございました。
「以久遠さま はじめまして。検索キーワード「自由ヶ丘トップ」にて以久遠さまのサイトへ辿り着きました。以下、自由ヶ丘トップのその後とでも言いましょうか、是非知っていただきたくメール差しあげました。以久遠さまの憶測通り、バブル崩壊の煽りを受けて1993年前後に海外のホテルなどの店舗も含めて全店閉鎖(吸収合併)になりました。その後、各店舗の社員は合併先の東急グループの配下に置かれ既存店舗や新店舗に配属となり、残念ながら「自由ヶ丘トップ」という名は消えてしまいました。私は20年ほど前に数年間、合併される数年前まで自由ヶ丘トップ直営店「銀座サヴィーニ」にシェフとして勤務していました。記憶が確かなら本店のフランス料理の店舗と銀座のイタリア料理の店舗は、社長自ら現地へ行き、気に入ったお店を探し出し、現地のデザイナーと交渉して店内の家具なども一式輸入して造られたようです。あの落ち着いた格調高い雰囲気はそこで働く従業員としても居心地の良いものでした。会社自体はなくなってしまいましいたが、本店は本当に良いお店だったと思います。色々な店舗がありましたが、今だから言えることは池袋と渋谷の店舗は、新人社員の研修店舗のような感じで位置づけられていたのは内緒です。このたび以久遠さまのサイトに辿り着き、懐かしい当時のことを思い出すことが出来て嬉しくなりました。」