ムネオの月給今、日本が破綻寸前で無駄な国費は縮小されなければならないという時期であるにもかかわらず、刑務所に拘留されているムネオにも高額な議員歳費が支給されている。国会にも満足に出席できず、議員活動もままならないムネオに議員歳費という月給を支払うのは国費、即ち税金の無駄遣いである。ムネオの裏金の作り方が明らかになるにつれ、腹が立ってくる。
年間1億円近い経費が支出されることを考えれば、議員歳費の差止め請求など、何らかの方法で何とか支給を一時的にしろ停止する方策はないものだろうか?議員歳費というものはサラリーマンの月給とは訳が違う。その名の通り議員活動のための費用を国家、すなわち国民が負担しているものである。刑務所の中にいる議員が議員活動が出来る筈がないのであるから、当然、その間の歳費は不支給か減額されて然るべきである。
従って、容疑が晴れて無罪になれば遡って支給すればよいと考えるが、その件について誰も具体的に触れたものはいない。本人が辞職しない限り、誰もその身分を剥奪(はくだつ)出来ないというのも困ったものである。その保障の意味するところが民主主義の根底に関わるものであることは理解しているが、一般国民感情から見れば何とも納得いかないことである。
一般国民に対しては、第三者が「仮処分」等によって権利の差止めを行なうことが出来るように認めているにも拘わらず、国会議員の身分についてはリコール制度があるだけで権利差止めを行なう方法がないというのもおかしなことである。従って、国会議員は居座ろうと思えばいつまでも居座ることが出来るという不合理が生じている。
民主主義思想から見れば止むを得ないと言えば止むを得ないことであるが、これを悪用されることを考えれると、いささか国会議員の身分保障は絶大過ぎはしないか。「法の下に国民は平等である」というのは建前だけで、実際は特権階級を作り出している。しかも、議員在籍年数にも加算されて高額な年金まで受給できることになるのである。これではまさしく「盗人に追い銭」である。もっとも、法律を作る彼らが自らに枷(かせ)を課すような法律を可決するとも思えないが…。
大体、議員という人種は法律に違反していなければ何をやっても構わない、という発想の人種ばかりが蔓延(はびこ)っている。これは過去の数限りない疑獄を見ても分かるように、疑獄に関与した議員達に等しく共通していることが証明している。自らの頭で善悪や事の是非を判断できない人種ばかりを作り出しているのである。民間人にも、特に一部の金融機関関係者にも同じような傾向が見え始めているが、それでもまだ部下の責任を背負って退任する経営者がいるのは救いである。彼らは自らの判断で身を処する術を心得ており自らを律しているのである。
自らを律するものは法律ではない、それは正義心であり道義である。どうも議員という人種は正義心というものは持ち合わせていないらしい。民間の一般人は道徳あるいは道義という社会人としての常識が善悪の判断基準になっているが、議員という人種は道義という点においても全く感じないようである。不正義がばれて議員を辞職した者が大勢おり、その現象だけを見ればあたかも潔しといった風に見えるが、「バレ」たから議員を辞職したのであって「バレなければ」依然として不正義を続けていたであろうことは明らかである。そういう意味ではムネオと大差なく、この点を見逃してならない。
鈍感と言うより、もともとは道義心というものを持ち合わせていた筈だが、それが議員という身分を重ねるにつれて、法律に違反しているか否かは裁判所に委ねるという人種に変貌して行く。特権階級という自意識が芽生えるのだろう。そして悪事が発覚すれば、「司直の判断に委ねる」という決まり文句を口にする。道義的責任は感じないのかと質問しても、その質問には答えず、鸚鵡(おうむ)のように無表情に「司直の判断に委ねる」と繰り返すだけで、自分の考えも意見も述べようとしない。
質問の意味が分かっていないのではなく、単にはぐらかそうとしているに過ぎないのである。馬鹿にしているにも程がある。自分では良し悪しも判断出来ないのか、と言いたい。他人の非は咎めても、自らの非を咎めるような議員は一人もいない。まして、自らの非を詫びることさえしない人種である。ということは、彼らは、自らを律することの出来ない人種であることを自ら表明しているのである。
このように、議員という人種は、自らの言動を自らの道徳観と道義観で客観的に判ずることが出来ないのではないか、としか言いようがない。従って、選挙を経ることによって「禊(みそ)ぎが済んだ」とばかりに、身の潔白が証明されたという見解を平気で示す。しかし、この「禊(みそ)ぎ」の考え方を肯定するのは法治国家として甚だおかしい。その言たるや、厚顔無恥極まりない。ちょっと考えれば、誰でも分かる。善悪是非の判定を行なうのは、選挙ではなく裁判所でなければならない。また、このような発言を聞いて、何となく納得してしまう一般国民側にも問題がある。
最近のジャーナリズムは迎合的になり過ぎて、この点を誰も追求しない。情けないことである。余談であるが、数少ない良識派でジャーナリズム精神の旺盛な「ザ スクープ(テレ朝)」のキャスター、鳥越俊太郎氏(奇しくも久留米大学附設高の先輩)が8月一杯で降板することになったが、ジャーナリストの目を持っていた数少ないキャスターだっただけに惜しまれる。