以久遠氏の Beauty,Business & Favorites Profile と雑感 VOL. 48 / 2002.11.15号
「潔し」…腹の立つことばかり
2002年もあと一月余を残すばかりとなった。今年を振り返ってみると、最近の世情の乱れには腹の立つことばかりである。拉致をあたかも正当行為かの如く外交材料に使う北朝鮮、まともに政治もせずに詭弁を弄するばかりの小泉首相、そしてその言動と居座り、野党でもなく勿論与党でもない定見無しの妙な民主党、与党も野党もない国会議員連中の秘書給与ピンはね事件……等々。全くどうしようもない輩(やから)ばかりである。
昨年9.11のニューヨークの無差別テロ事件のブッシュにも腹が立ったが、最近の国内事件の余りの次元の低さには腹の立つことばかりである。それも所詮は政官財のありきたりの癒着疑獄事件ばかりで、明治時代から現在まで政治家の倫理観は全く進歩していない。むしろセコクなって来ているようにも見える。唯一腹の虫が納まったのは、田中康夫長野県知事不信任案によって知事を前代未聞の辞任に追いやった県政会が自発的に解散し幹部の一部が議員辞職をしたことぐらいだろうか。
民間の事件の程度の悪さにも目を覆いたくなる。数年前までは「企業は社会の公器」とか「社会貢献」を声高々と唱えていた著名企業が社内に向かっては同じ口から不正を指示していたことが暴かれたことである。賞味期限を過ぎた牛乳を平気で再加工し、ラベルに表示されている期限を信用して飲んでいる消費者を騙し続けた雪印や明治乳業。外国産の牛肉を国内産と偽ったラベルを貼って不当な利益を得た業者と伊藤忠。
それに官が裏で手助けをするという汚れようは民主資本主義の末期的症状にも見える。ラベルの表示だけしか情報が与えられていない消費者は、一体、何を信じたらよいのか?そして、それらを大したチェックもしていない農林省や行政府は国民の生命と健康について何と考えているのか?国民の血税でのうのうと生活している公僕が聞いて呆れる。これではまるで、公僕という名のドラキュラではないか。
この数年の事件を見ても空恐ろしき状況である。原子力という最も危険な業務にかかわっている従業員に原子力材料の扱い方や臨界爆発の恐怖を教えていなかったために従業員が死亡した住友系のJCO社。従業員の生命を軽んじていたとしか思えない実態を科学技術庁や行政府は何と考えているのか?イギリスでは10数年も前に発見されていた狂牛病を隠し続けた農林省官僚と業界団体。一体、彼らは自分を何様と思っているのだろうか?
大蔵省と大銀行が結託した大銀行やゼネコンなど諸々の救済のための100兆円の血税濫費。100兆円と言えば、国民が一人当たり100万円を負担したことになる。納税者だけで計算すれば200万〜250万円の負担である。銀行経営者の努力によってではなく大蔵省の指導によって中小の弱い金融機関は倒産し併合されたが、大銀行は少しばかりのリストラを行なっただけで、結果としては中小金融機関が減ったことによる需給バランスによって生き残っている。銀行とゼネコン救済の陰で、今も中小企業は倒産が続出しているのだ。
200万という大金を負担したサラリーマンが職を失い、高額所得の銀行マンはヌクヌクと生活しているというのが日本の実態である。この道理に合わない、弱い者虐(いじ)めとしか言いようの無い実態を政治家や官僚は真剣に考えて行政を行なっているのだろうか?しかも、この莫大な出費は日本経済にどんなプラス効果をもたらしたと言うのだろうか?
聞くところによると、本給の倍ぐらいという高額な裏給与が支払われていた外務省官僚。子弟の結婚式費用まで血税で賄っていた大使や領事、赤坂のクラブや料亭への支払い基金を捻出していた官僚、そしてそれにハエのように群がった150人にも上る役人の面々…。その裏金作りに協力し、裏金をプールしていたホテルニューオータニ、いずれも血税に群がって貪り食うハイエナ集団か血を吸うヒル同等である。これではまるで公僕という名を騙った詐欺師の集団ではないか。
三井物産と組んで血税を私し私腹を肥やした鈴木宗男。故田中角栄から莫大な遺産を受け継いで数十億円にも上る相続税を滞納し続ける田中真紀子。国産牛肉と偽って血税を詐取した日本ハム。それに七場所も休みながら引退もせずに復帰したと思ったら場所の二日前に突然休場を宣言する貴乃花。前売券を購入したファンを何と思っているのか。相撲協会もグルになっての詐欺まがいの行為であると評されても言い訳は出来まい。嘘の生存率(死亡率)表を使って余分の生命保険料を搾取していた生保業界…。
最近では、鈴木宗男に始まって田中真紀子、小泉純一郎、ブッシュ、そして貴乃花から日本ハムの大社社長会長親子、東京電力と、次から次へと欺瞞と偽善のオンパレードで、化けの皮を剥がされて本性を剥き出しにした愚かな者どもが蝗(いなご)のように湧いている…。数え上げればキリがないほどの悪事の数々である。
まるで、政官民、挙げて詐欺師的守銭奴集団となった観がある。金銭感覚の麻痺加減と倫理観の欠如には辟易(へきえき)する。国会議員も横綱も、傍の人から辞めさせることが出来ない、という制度も困ったものである。昔の横綱や国会議員は自ら出処進退を潔くしたものだが、最近は居座ろうとする輩ばかりになった。昔は権力に居座ろうとする政治家はいたが、どうも最近は金銭目当ての居座りが増えて来たように思う。
嘘と欺瞞と偽善(排他的独善性)をマントのようにひらめかせて肩で風を切るようにして傲慢(ごうまん)な目つきと顔付きで弱いものを食い物にしてきた輩(やから)がまかり通っている。偽善の帽子を目深に被り、達者な口で欺瞞を語り、他人の問いには平気で嘘を吐く。自分の利益のためには他人がどうなろうと知ったことか、と言わんばかりの振る舞いと言動。どいつもこいつも己が利益に目が眩(くら)んでいる奴ばかりである。無理が通れば道理引っ込むの類で、大人しく善良なる市民は声を潜めてしまう。
それぞれの世界のトップに居る人間がこれでは日本の将来が思いやられる。昔の人は金銭よりも名誉を重んじた。儒教的価値観である。従って、名宰相や偉大な社長といった賞辞句があった。しかし、今の人たちは名誉では食べては行けないという即物的発想になるようで、名誉より金銭を重んじる傾向が強い。丁度、「愛情だけでは食べて行けない」と愛する男を捨てて、愛してもいない男と平気で結婚する女が増えて来たのと同じ理屈である。
楯の会の同士を引き連れて市ヶ谷の自衛隊を占拠し、切腹自殺を遂げた三島由紀夫の美学を思い出す。三島の美学を肯定するつもりはないが、昔の「潔(いさぎよ)し」精神や生き様の「美学」はどこへ行ってしまったのだろうか?武士階級が無くなって110年も経つと、「腹切り」の侍(さむらい)魂も滅びてしまったような観がある。