文明諸国とは言うが、文化諸国とは言わない。語りの文化はあるが、語りの文明はない。メソポタミア文明、エジプト文明とは言うが、メソポタミア文化とかエジプト文化とは言わない。文明の利器とは言うが、文化の利器とは言わない。京都には王朝文化を頂点に舞妓さんや芸妓さんや職人など沢山の文化がある。江戸の寛永、元禄の文化は退廃文化ともいう。
文化と文明。分かっているようで改めて問われてみるとなかなか分かりにくい。文化と文明はよく似ている言葉だが、似て非なるものなのである。文化紀行と銘打って各地の色々な文化を人の心を介在させて紹介して来たつもりであるが、日本では文化と文明という言葉の使い方に混乱があるように思う。そこで、書いている私自身が果たして文化というものを正確に理解しているのだろうか、と改めて振り返ってみることにした。
文化は英語ではCultureといい、文明はCivilizationという。Cultureとは、宗教的「信仰」や「教義」を意味するCult(カルト)の変化形である。Civilizationとは、「人間の生活に関する事柄」あるいは「都市化」という意味から、Civil(市民)の変化したCivilizeの名詞形で表現されている。
この伝で言えば、元禄文化はCivilizationとなる。また、王朝文化という言葉については、時々「王朝文明」と表現した方が適当と思われることもあるが、その底に禅や仏教思想や神道が流れているのでCultureということになるだろう。
西洋では、人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼んで、物質的生活を意味する文明と区別しているようである。日本はどうだろうかと広辞苑で「文化」と「文明」について調べてみると、文化については、
「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など
生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわ
るものを文化と呼び、技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する。」
と記されている。文明については、
「宗教・道徳・学芸などの精神的所産としての狭義の文化に対し、人間の技術的・物質的所産。」
とある。文明については明確に定義付けられているが、文化については「物心両面の成果」とか「文明とほぼ同義に用いられることが多い」という説明が加えられており、言外に日本では曖昧な使い方が存在することを示唆している。広辞苑においても厳密に定義付けることが難しかったようである。
要するに、文化とは人間の精神が関わって創り出されたものを意味し、文明とは人間が要求する機能を具現化したものということを意味する。従って、宗教とか流派とかいったものが文化の基を形成することなる。その点、日本も西洋も殆ど変わりはない。しかし、文化と文明については西洋の方が明確に使い分けて表現しており、日本ではやや曖昧な使い方を許容しているようなところがある。
表現が曖昧なために、どうも日本人の中には物質的な豊かさを文化と錯覚している人もいるようで、時々、文明と表現すべきところを文化と言ってみたりする人が見受けられる。文明は様々な人々の生活に利便な機器をもたらす。それによって、人々は楽になり便利になった。これを文化の所産と思い込むことがあるのである。
即ち、物質的豊かさを文化と思い込むのである。例えば、徳川綱吉時代の華やかな元禄時代を「絢爛(けんらん)たる元禄文化」という言い方をする。しかし、「絢爛たる」という修飾語は文明には使われても、文化に使われるのは適当ではない。何故なら、「絢爛」という言葉は物質の状況を示す表現で、精神的なものを表現する言葉としては適当でないからである。
人と人との関わりの中に文明と文化がなくては安定的な発展はない。しかし、人間の生活に豊かさをもたらす文明の進化は、大抵、人間の心の破壊をもたらす。徳川時代は儒教文化に支えられて三百年の文明を維持したが、豊かな道具文明は、世の中に必要なものが減った分、人間の思考の幅を狭くし、精神文化を貧しくする。
過去において、地球上の多くの国が滅びて、新しい文化と国が興ったことを振り返って見ても分かるように、エジプト文明にしても、インカ文明にしても、飛鳥文明にしても、文明の進化は必ず滅亡を招いている。現代こそ、もう一度文化を見直す時期に来ているのではないだろうか。