
山形はさくらんぼの町である。山形県の内陸部は到る所にさくらんぼの果樹園がある。田圃(たんぼ)の中には大小様々の規模のさくらんぼ果樹園があり、よく見れば、町中の住宅の合間にも沢山のさくらんぼ果樹園がある。これまで、さくらんぼの木をしみじみと眺めたことはなかったが、今回、K君お奨めの蕎麦屋がなかなか見つからず、さくらんぼ果樹園の中や周囲の道を何度も何度も走り回る羽目になったことが、はからずもさくらんぼ農園をつぶさに見物できる機会となった。
さくらんぼの木は桜に似ているのかと思っていたが、むしろ梅の木に似た枝振りをしていた。幹は縦に伸びているものもあれば、横に這っているものもある。そして、若い小枝が何本も天に向かってしなやかに伸びている。なかなか良い姿である。木が小さければ盆栽にもってこいである。庭に植えても、そのまま庭木にもなりそうな見事な枝振りの木も多い。
同行のK君が、「東根に美味い蕎麦屋がありますが、どうですか?」という。昨日の昼は焼肉で、夜は寿司。今日も、朝食のバイキングが美味くて、いささか食べ過ぎ気味のお腹一杯。漠然と、昼食は軽いものが良いな、と考えていたところだったので、即座に「蕎麦はいいね」と相槌を打った。東根には有名な「板蕎麦」がある。高速道路を山形の手前の東根で降りた。
K君が、その美味い蕎麦屋は山形飛行場の裏辺りだ、と言う。「うろ覚えですが…」と自信なげに言いながらも、実にすいすいと右に左にハンドルを切りながら走る。ところが、いつまで経っても目的の蕎麦屋がなかなか見えて来ない。「ここら辺ですがねぇ…」。段々、心細くなって来た様子で、声の張りも無くなって来た。うろ覚えの記憶を辿りながら、さくらんぼ果樹園の中の道路をうろうろするのだが、あちこち見渡す限り同じような光景ばかりで、記憶は更に怪しくなって、段々深みに入ってしまったようである。
万策尽きて途方に暮れていると、前方に腰の曲がったオバァサンが一人、のんびりと歩いて来るのが見えた。腹は減るし、食事のできる店も見当たらず、縋(すが)るような思いでオバァサンに「この辺りに美味い蕎麦屋があるそうですね」と尋ねてみると、
「あぁ、あるよ。伊勢そばだぁ。そこサ曲がると右側にあるよ。何処から来たぁ?へぇ!東京サからかねぇ!伊勢さんも
儲かる筈だぁなぁ」
と訛(なま)りの強い山形弁で答えた後は、呟(つぶや)くような独り言口調になった。言われた通りに車を走らせると、ごく普通の民家風の蕎麦屋があり、「元祖手打ち 伊勢そば」という看板が掛かっていた。しかし、K君、肩を落として曰くには「この店じゃない」。だけど、地元の人が勧める店だから美味いだろうよ、と入ることにした。
外観は蕎麦屋であるが、内部はどう見ても二階建ての普通の民家である。土間のようなところを通って靴を脱いで部屋に上がる。階段脇の床の間と違い棚の付いた八畳ばかりの書院造の和室だった。床の間には手形を押した妙な掛け軸が掛かっていた。古色蒼然としている。その掛け軸には、
「手打ち蕎麦 太さに本間の蕎麦の味 盛りが物言う田舎盛りなり 二代目本間伊勢蔵」
という歌が書いてあった。この蕎麦屋は本間伊勢蔵という人が始めた店のようである。二代目の伊勢蔵さんが「この伊勢屋の蕎麦は量が売り物だ」と子孫に言い伝えるために手形を押して歌にしたもののようである。掛け軸の古さから判断すると、現在は三代目くらいだろうか。
廊下には雑然と生活道具が積み上げられ、和室の片隅には割り箸の入った段ボール箱が三段に積んであったり、部屋には子供の玩具が転がっていたりしていて、どんなに贔屓(ひいき)目に見ても綺麗とは言えない。日常の生活感が漂っている店というのは、お邪魔しているような気にさせ、いささか興趣を殺(そ)がれる。どうでも良いことだが、食べ物屋さんだから、少しは綺麗にしてはどうか、と文句の一つも言いたくなるような店であった。それでもお客さんは満員であった。
足の悪い男の店員さんに「この店のお勧め品をください」と注文しても、何もお勧めがない。壁に貼ってあるメニューを指差して、ボソボソと聞き取りにくい声で「量が多いよ」という返事があるだけである。仕方なく、蕎麦には鶏肉とネギが合うので、600円の「とり肉そば」を注文した。「普通かい?大盛かい?」。「大盛りで」。愛想のないブツ切りの会話である。
待てど暮らせど、いつまで待っても注文の蕎麦が出て来ない。イライラ気分になりそうだが、隣にいるタクシーの運転手さんを見ると食後の一休みか、漫画本を片手にコックリコックリ居眠りしていた。「これが田舎の良いところだ。だから我慢せい」と自分に言い聞かせるが、何とも落ち着かない。立ち上がって、部屋の中をうろうろと歩き回る。床の間に掛けてあった掛け軸の短歌を手帳に写したり、違い棚に乱雑に置かれている本間秋水という人の額縁を覗いたり、何故に長押(なげし)に掛かっているのか不思議な「教育勅語」の額などを見物していると、やっと注文の蕎麦が出て来た。
蕎麦の色がやや白いのが気になったが、正真正銘の太目の手打ち蕎麦である。香りを嗅ぐと懐かしい本物の蕎麦の香りがする。トリ肉は、秋田地鶏の比内鶏であった。ところが、掛け軸の歌に詠ってあるように、蕎麦の量が半端ではない。量が多いだけでなく、まるで丼に詰め込んだようにギッシリと入っている。麺は硬くて歯ごたえがきつく、やや重い感じがする。食べても、食べても、丼がなかなか減らないのには驚いた。大盛りにするんではなかった。残念ながら、味はもう一つであった。客が多いのは値段の安さと量の多さのためだろう。大盛りの「とり肉そば」は100円増しの700円だった。