年末年始の季節になると、毎年、日本中を年末挨拶や年始廻りで駆け回る。十分な睡眠も休憩もままならず、日がな一日、体力に任せて日本中を動き廻るのだが、正しく「心が亡くなる」と書く多忙という字を実感する。その合間合間に毛筆ペンで年賀状を一枚一枚気を引き締めて書く。その中の主だった得意先を12月初めから1月の終わりまでの二ヶ月間かけて北海道から九州まで挨拶に廻る。
忙しい年は日本中を一泊二日で移動し続け、同じ場所に二日といたことがないということもあった。飛行機や新幹線で目的の地区に入ることもあるが、大抵は東京や神戸からそのエリアを担当している若い営業マンが運転する営業車の助手席に同乗しての訪問である。いつもかなりハードな日程であるので、車が嫌いな人には苦しい旅になるかも知れない。しかし幸いなことに、車の好きな私にとってはいつも楽しい旅である。
一年振りに会う人も多く、懐かしく話題に花が咲く旅である。31歳で営業部署に出てから30年弱になるが、年末年始の訪問は毎年の恒例行事となってしまった。大晦日を境とするだけだが、不思議なもので年末年始の挨拶廻りは一年の終わりと一年の始まりのケジメのような感じがして気が引き締まり、心地よい緊張感をもたらして呉れる。
今月も例によってハードなスケジュールで、15日から17日まで東北担当のK君の営業車に同乗して2泊2日の東北5県の旅となった。「2泊2日」とは「出発日は通常勤務し、終業後に出発し深夜に目的地のホテルに入って寝るだけ、そして翌日とその翌日が訪問」というスケジュールである。運転しているK君には申し訳なかったが、隣の助手席でしばしば寝させて貰った。
初日の15日は、会社が終わった18時半頃に文京区の本社を出発した。夜の東北高速道を北上し20時前に宇都宮を通過し、「今晩の宿泊は宮城県の古川」と決めた。16日の一番目の訪問先は岩手県の盛岡である。古川まで行けば、早朝にホテルを発てば訪問予定の9時には盛岡に十分着ける。
宇都宮を過ぎたところで携帯電話からホテルを予約した。この先からは山間部が多く電波の状態が悪くなるので携帯電話が通じにくくなる。後はひたすら山中を突ッ切っている高速道路を古川までひた走るだけである。昼間であれば二本松辺りで西側彼方に安達太良(あだたら)山の雄姿が望めるのだが、雪空の夜は星明りもなく漆黒(しっこく)の暗闇の中に沈んで、もちろん山影は見えない。
高速道路の片側に時折りヘッドライトの灯りに浮かび上がるように気温が赤い文字で電光表示される。零下3度である。雪があれば、アイスバーンとなっているところだが、幸い雪は無い。
古川に着いたのは23時過ぎであった。雪にも氷にも殆ど悩まされることもなく、東京から夕飯を兼ねた一箇所の休憩だけで400qを走って来たことになる。都会の23時は宵の口だが、田舎の22時は人影も消え寂しい。23時になると街が寝てしまう。街路灯が所在無げに円く照らしているだけで人っ子ひとりいない。
高速道路の出口から一般道に出て、ホテルに着いたのは23時半であった。ホテルについて部屋に入ると先ずコンピューターを取り出してEメールを確認する。Eメール確認作業はコンピューターが普及して日課になってしまった。返事を一通入れる。さすがに疲れた、風呂にも入らずバタンキュウ。
翌朝6時40分起床。800円の朝食バイキングを食べてから7時30分に次の目的地岩手県の盛岡へ向かって出発する。古川から盛岡は140qの距離である。盛岡へ向かう道は徐々に高度が上がり、その分雪が増える。一ノ関、花巻を通って盛岡に入る頃には二車線の高速道路はシャーベット状であった。車が通っていない追い越し車線には数センチの積雪があり、途中、強く吹雪いているところもあった。一面が雪一色で、目の奥が痛くなったので、15%の薄いサングラスに替えると大分楽になった。やはり、雪国では濃度30%以上のサングラスが欲しい。
盛岡から秋田県の大館まで雪景色ばかりの130q。盛岡側から見る岩手山は男性的で雄々しいが、滝沢、渋民、安比と北上するにつれて富士山のような秀麗な形に変わっていく。その岩手山も中腹から上は厚い雪雲に覆われ微かになだらかな裾野部だけが見えるだけであった。奥羽山脈に並行して走りながら少しづつ奥羽山脈の奥深く入り八幡平(はちまんたい)辺りで峠を越える。紅葉で有名な八幡平は真っ白で、雪も深かった。十和田湖の直ぐ近くである。
十和田インターチェンジで降り、比内鶏で有名な比内町を通って大館に入る。大館は、高級家具材として有名な大ブナ林、世界遺産の白神山地の南の端に位置する。かっては、東北でも有数の家具木工の街として栄えた街である。しかし、中心地の商店街にはシャッターが降りたままの店が到る所に目に付く。活気ある昔日の面影は不況の波に呑み込まれて、人影も殆んどない静かな街となっていた。それもその筈である。私の住む藤沢も昔は大きな家具屋さんが4、5軒あったが、今は中級店が一軒あるだけとなってしまった。
家具が売れるのは、住宅地として発展している新興開発地である。宅地開発や分譲住宅の販売が終了すると家具の需要は激減し、大手の家具屋さんの営業店はいつの間にか引越ししてしまう。後には、地元の昔からの家具屋さんだけが取り残されたようにひっそりと営業している。その内、その家具屋さんもサッシ建材屋などへ転業してしまう。成熟した街に家具は不要となるのである。
大館から弘前までは70q。空一面、どんよりと曇った雪雲に覆われて、津軽富士岩木山の秀麗な姿は見えない。弘前から大鰐(おおわに)、碇ケ関(いかりがせき)を通って奥羽山脈を越え、再び大館に戻る。車は少ないが雪は多い。鷹巣(たかのす)を通り日本海岸の能代(のしろ)を経て、八郎潟の脇を走って秋田まで150q。奥羽山脈の矢立峠を境に海岸に近づくにつれ、どんよりと重い雪雲が消え空が高くなった。
秋田は晴れていた。夕焼けとまでは行かないが、雲は高く雪の降る気配はない。秋田の取引先を出たのは18時半過ぎであった。仁賀保(にかほ)のエクセルホテルの前の回転寿司で夕食を摂る。雪国の夜は早い。真っ暗な闇の中、一車線の国道を南下し、象潟(きさかた)を経て80q先の酒田を目指す。本来であれば、直ぐ東側に真っ白く雪を冠った雄大な鳥海山が見えるのだが、夜の闇と雪雲のために何も見えない。
20数年ぶりに酒田の街を訪れた。酒田駅前のホテルに着いたのは21時だった。コーヒーを呑んで寛いでから風呂に入り、Eメールを見てから18日の会議資料を作成する。結局、寝たのは2時だった。酒田の街には「酒田の大火」の跡片もなく、昔は殆どなかった鉄筋コンクリートの建物が増えていた。広大な敷地に建つ豪壮な本間美術館は昔のままの姿である。
酒田から内陸の山形まで140q。北に雄大な鳥海山を南に秀麗な月山(がっさん)を見ながら最上川沿いに新庄盆地へ入り、更に山形盆地へと向かう。高速道路がなかった昔は最上川に添って走れたので、荒々しい流れを見物しながら旅が出来たが、真っ直ぐでやや高地を走る高速道路が出来てからは最上川の流れを見ることは出来なくなった。
途中、最上川を横切ったときに最上川の流れを見たが、かって30年ほど前に見た雄々しい流れは姿を消し、河原には雑草が生い茂り、川底をくねくねと曲がった細い水路が流れているだけだった。恐らく、上流にダムが出来て、最上川本来の奔流が失われたのだろう。芭蕉の世界は程遠くなったようである。
山形から米沢まで50q、米沢から福島まで50q。福島でK君と別れ、新幹線で270q先の東京へ。北国の1月は、大抵、雪である。太平洋側と日本海側では中央を走る奥羽山脈を境にして天候が激変する。今年の雪は一昨年に比べれば少ない方だったが、それでも奥羽山脈の山中はところどころで吹雪いていた。