イラク問題と挙証責任ゴリ押しブッシュには実に困ったものだ。それに同調しているイギリスのブレア首相にも困るが、ブッシュに同調しようとしている小泉首相や石破防衛庁長官にはもっと毅然として貰いたい。そもそも、アメリカとイギリスは兄弟か従兄弟くらいの関係にあり、ブッシュとブレアが法律的な発想が似て来るのは致し方ない。しかし、法律の根源的な思想が異なる日本のトップが同調するのは大きな問題である。
ドイツ法典に準じているわが国の法思想と英米法典の法思想が180度違っていることを理解しているのだろうか?10年以上も前になるが、日本でアメリカの製造物責任(Product Liability)を問う法律(PL法)が法理論的に大変な物議をかもし出したことがある。
例えば、「盗みに入った泥棒が家人に見つかって屋根に逃れたとき、屋根の瓦に躓(つまづ)いて転げ落ちて怪我をした」としよう。泥棒はそこで御用となる訳であるが、ところが驚いたことに、アメリカでは、その泥棒が盗みの罪科を受けるのは勿論のことだが、怪我をしたことについてはPL法に基づいて「躓いて転げ落ち怪我をしたのは瓦メーカーの製造品質に欠陥があるためである。怪我の損害を弁償しろ」と裁判所に訴え出ることが出来るのである。
このような理屈は、日本人には到底受け入れ難いであろう。盗人猛々しいというか盗人に追い銭のような法思想は英米法とドイツ法の法理論の違いから起こっているのである。
被害者が損害賠償を求めようとする場合、これまでの民事法においては、被害者は「加害者を特定」し、更に「加害者側に何らかの故意か過失があったことを立証」しなければならなかった。立証責任が被害者側にあることが、現実的には損害賠償訴訟を起こしても立証できずに、被害者が泣き寝入りを余儀なくされる原因であった。
何故なら、原因の対象物は加害者側に存在しているので、加害者である供給業者が企業秘密と称して内部資料を開示しない限り、部外者である被害者がこれを立証することは殆ど不可能であるからである。こうした事態を避けるため、PL法では逆の発想を採り入れ、訴えられた加害者が自ら「そうではない」という証拠を立証してしか抗弁出来ないとしたのである。
つまり、以前は、被害者である消費者は、被害の原因と推定される証拠を被害者自身で探し出し、それを添えて訴訟を起こさなければならなかった(挙証責任主義)が、PL法の成立によって、理由の如何を問わず、「現実に被害を受けたから、その損害を賠償しろ」と現実の被害を基に訴訟が起こせるようになったのである。これに対し、加害者と想定される業者側が「そうではない」という抗弁をするためには企業秘密を開示してでも反証を挙証しなければならなくなったのである。
どちらも証拠主義を採用しているけれども、証拠を「どちらが挙げなければならないか」という点が異なっている訳で、訴えられた業者側が挙証しなければならないとしたPL法によって、被害者の泣き寝入りも減ったし製品自体の品質も非常に良くなった。
しかし、この「疑わしきは罰する」という法理は英米法の考え方で、西部劇映画にも時折り出て来る。保安官が容疑者を捕まえて裁判を開き、一般市民によって構成される陪審員たちの判定によって刑罰を決めるという場面を覚えておられることと思う。ここに発想の原点がある。この裁判制度には、個人よりも地域社会の利益を優先させようとする西部開拓時代の思想が流れているように思うが、陪審員の恣意(しい)的な判断に係わる部分が多く、そのために冤罪(えんざい)などの誤審を招く危険性を多く孕(はら)んでいると言える。
その点、ドイツ法を採用している日本には「疑わしきは罰せず」という法理が、刑事民事を問わず全ての法律の原点にある。それがために、PL法だけに限定して、被害者側の立証責任主義を廃して加害者側の反証責任主義を採用することが難しいというのが実情である。そのために、アメリカほどにはPL法が活用されているとは言い難い。
ブッシュの勝手な発言を聞いていてPL法のことが頭に浮かんだのだが、如何にも前時代的な西部開拓時代の白人とインディアンの争い光景を見ているようである。「9.11テロ」において現実に実損は発生しているが、アルカイダが加害者であるという証拠は何も無いにもかかわらず、ブッシュはアルカイダを加害者と決め付け、「9.11テロはお前たちがやったのだ。だから報復戦争をする」と宣言しているのである。そして、「そうでないならば、やっていないという証拠を示せ」と言っているに過ぎないのである。
特に、イラクに対しては、現時点ではアメリカは何の損害も受けていない(被害者となっていない)にもかかわらず、将来、イラクは加害者になると決め付けて独断専横的裁判を行なっているようなものである。これでは、まるで西部劇映画で見る「町に居て貰っては困る人間を無理やり列車に乗せて追い出す」場面とそっくりではないか。まさしく冤罪作りそのものである。早く言えば、「お前は悪人だ。そうでないなら証拠を示せ!」と言っているようなもので暴論極まりない。
善人である証拠とは一体何を示せばよいのだろう?イラクを擁護する訳ではないが、何もやっていないことが事実であるとき、誰だって「やっていない」という「否定の証拠」というものは出せるものではない。「無いもの」が出せる筈はないのである。と言って強いて出せと言うのであれば、「…だからやれる筈が無いでしょう」という状況証拠になるのは当然である。
その、ブッシュの無茶苦茶で自分勝手な思い込み論理をそのまま鵜呑みにしているのが小泉首相と石破防衛庁長官である。もしも、この思想が自衛隊や警察に取り入れられるようになったら、戦後の「赤狩り」や「思想弾圧」などの統制時代へ逆戻りしかねない危険な事態であることを国民は認識すべきであろう。
彼らは「疑わしきは罰する」というアメリカ的発想の人たちであるのかも知れないが、現実に、誰かに貴方自身が濡れ衣を着せられて、その人から「やっていないのなら証拠を出してみろ」と詰め寄られた場合のことを考えて頂きたい。貴方は、その時、証拠を提示することができるだろうか?「無い事実」の証拠を示すことは至難の極みであろう。イラク戦争について世界各地で「NO WAR!」運動が活発になって来たことは喜ばしいことである。