「長いものには巻かれろ」という諺がある。力のある者や話の通じない頑固者などに関わり過ぎると、煩(わずら)わしくなるだけだから、いい加減なところで矛を納めた方が利口だぞ、という意味合いであるが、その裏には個人の損得勘定が見え隠れしている。日本的と言えばこれほど日本的な言葉はないかもしれない。外国人に比べれば極めて自己主張が弱いと言われている日本人のありさまを如実に言い表わしている。
それでも、昔の日本人の方が今よりは自己主張が強かったし、また利己主義でもなかったように思う。私は昭和38年に慶応義塾大学に入学したが、その頃はインフレの最中で、毎年、毎年、授業料の大幅な値上げが行なわれていた。数年間の間に2万円、4万円、6万円、8万円となっていた。今のお金に換算すれば、20万だったものが数年後には80万円になるといった具合に滅茶苦茶な大幅値上げの時代であった。
在学中の学生には入学した時の授業料が4年間は保証されているので、直接、在校生に値上げの被害が出る訳ではないが、翌年の入学者は大変である。このような大幅値上げが続けば、中には経済的な理由から大学進学そのものを考え直さなければならない家庭も多かった筈である。あるいは自分自身の人生設計が描けなくなった学生も多かったのではないだろうか。
そこで、当時の学生たちは大学に対して授業料値上げ反対の実力行使に出た。授業放棄というストライキを行なって値上げをいくらかでも阻止しようとしたのである。神田あたりは火炎瓶が投げられまるで暴動のようであった。その理由は、「特定階層の子弟しか入れない大学であってはならない」、「門戸を広くしないと優秀な学生が来なくなる」、「それは学校の低下をもたらす」といったものだった。
そのような運動が、当時、裕福な家の子弟が多いといわれていた慶応義塾大学の教養課程のある日吉校舎で一番最初に起こった。日吉駅の正面の校門にバリケードを築き、校舎内へ入る学生や先生たちをひとりひとりチェックして授業を開かせないのである。そのストライキは日吉から三田へと広がって全学を挙げての大騒動になり、数ヶ月間、学校閉鎖が続いて授業は全く行なわれなかった。慶應義塾大学のストライキが契機となって、東京六大学のあちこちで授業料値上げ反対運動が勃発した。
当時は産業界でもスト流行りで、賃上げストや安保反対ストや成田空港建設反対など労働組合運動から政治運動まで幅広くデモやストライキが盛んであった。昭和39年の東京オリンピックを境にわが国経済は高度成長時代へと向かい、それにつれてストライキや労働運動も下火となり、国民所得の増加と共に強烈な自己主張自体が減り、自分さえ良ければというエゴイズムが増大していったように思う。そういう時代に生まれた現在の学生には授業ボイコットをするような学生はいないのではないだろうか。多分、大学が授業料値上げが必要と考えるのであれば、上げたらいいだろうと考える学生の方が多いのではないかという気がする。
このような若者たちを授業料値上げの一事をもって「長いものに巻かれる」人たちと言い切るにはいささかの抵抗感はあるが、現在のような不況下の中で失業者が鰻上りに増え、リストラを当たり前のように行なう経営者のあり方に接しても、自分の職出さえ確保出来れば他人のことには関わりたくないという正義感の欠如しているような若者が増えているのを目(ま)の当たりにすると、この国の行方に一抹の不安を感じざるを得ない。