以久遠氏の Beauty,Business & Favorites       文化紀行    VOL. 53 / 2003.04.15

「士魂商才」という精神文化    

 現代のような混迷に時代にあっては「生きる知恵」というものは大事である。しかし、知恵というものは概ね利害に関することが殆んどで、知恵にばかり走れば人格が希薄化する恐れがある。如何に知恵があっても人間は敬われ慕われなければ何事も上手くいかない。従って、人格を磨きながら知恵も磨くということが大事な世の中なのである。

 「士魂商才」という言葉がある。原(もと)の言葉は「和魂洋才」という言葉で、「武士の精神と商人の知恵」という意味の造語である。私の祖父や父の時代に流行った言葉だとみえ、大阪の大商人鴻池家の家訓でもあったようだ。商人であった祖父の時代には私の家の家訓でもあった。

 父はこの言葉を自らが創建した実業学校で商人の子弟である学生たちに「商人の精神」として教えていたようである。教え子の人たちも70歳以上の人ばかりとなったが、その人たちに会うと今でも、学生の頃を思い出すようにして「士魂商才」の思い出を懐かしそうに語って呉れる。士族の子孫が士魂を持つことは当たり前であるが、父は「商人だからこそ毅然とした武士の魂を持つことが大事だ」と教えていたのである。その学校の跡地には父の筆になる「士魂商才」と掘り込んだ石碑が今も残っている。

 士農工商の身分(階級)制度は第二次大戦の敗戦によって終了し階級社会は消滅した筈であるが、50年以上経った今も尚、士魂、即ち武士の精神というものは子孫に連綿と承け継がれ、士族という意識は精神文化の中に生きている。士族の子孫だから立派な人間という訳ではないが、徳川時代の武士には農工商階級の人々から畏敬の念をもって尊敬されるような振舞いと言動が要求されていた。戦(いくさ)が無くなってからの武士には武士階級という形式美が要求されることとなっていたのである。いわゆる、武士道と称されるものである。

 武士は何故に畏敬されたか?それは武士の行動規範によるところが大である。武士同士の間では約束事が成立すると、証文を作成する代わりに「手打ち」を行なっていたらしい。これによって「手打ち式」という言葉が生まれたくらいで、「武士に二言無し」という言葉があるように、世間一般の人たちは、武士は約束を破らないものという認識を持っていたし、武士はそれに応えていた。

 武士が尊敬されるのは分かったが、商人はどうすれば尊敬されるのだろうか?この答えは、父が日常の中で喋っていた言葉が強烈な印象をもって残っている。父は商人の後継ぎである生徒たちに口を酸っぱくして、「学者は学問と知識の深さで尊敬され、役人は公僕として一般人のために働くことで尊敬される。しかし、商人は学問や知識や役人の真似をしても馬鹿にされるだけで、商人は儲けて初めて尊敬される。儲けることの出来ない商人は軽蔑されるだけだ」と言っていた。

 技術の無い職人が尊敬されないのと同じである。武士は信義に生き、商人は損得に生きているという訳である。父のこの言葉は、商人の人格を認めないような言葉なので余り好きではないが、ある面、商人のあるべき姿を表しているようで何となく頷けるところがあり一理あるように思う。ビジネスマンになってから数十年経った今も、時々、ひょいと脳裏を過(よ)ぎる。

 商人は、自分に不利となれば一旦約束した事でも、何やかんや言って平気で反故(ほご)にするという行為をとることも多く、武士は、人の行動が損得や利害によって変わるこのような行動を最も侮蔑した。武士が商人のように嘘をついたり誤魔化したりすることは、等しく臆病とみられ、武士として最も恥ずべき行為であったし、裏取引や不正な行いは切腹に値するものだったのである。従って、「二言」のために商人に手を下したり、逆に死をもって罪を償った武士も少なくない。武士の言葉にはそれほどの重みがあったのである。

 現代には、勿論、武士階級というものは存在しないが、「士魂商才」という精神はビジネスや一般社会生活の中において今も尚「人間の格」を決める標準として生きている。本来、人格や識見が最も問われる筈の国会議員や県会議員や市会議員などの中に士魂を有しない者が随分いるのは残念なことである。

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